休みの日に楽しいことがあると、明日からまた仕事か、とため息をつくことがありませんか。
仕事のことを考えたときに嫌だなと思う人もいれば、よし頑張ろうと思う人もいると思います。
この差は何なのでしょうか。
もし会社のことを考えることでうんざりするとしたら、職場でたくさんの嫌な感情を感じていて、仕事がはかどっていない状況かもしれません。
人とうまく行っていないとか、人に不満を感じている状況も考えられます。
ある人が仕事を押し付けてくる、とか、
いつも勝手なことばかり言われる、とか、
くだらない話が長い、とか、
色々な不満があるかと思いますが、
気が付くと、頻繁に周りの人たちにイライラしていることがあるかもしれません。
不満を感じながら仕事をすることは、重たい石を持って走るようで、思い通りに進まないのではないでしょうか。
不満を手放して、仕事がはかどる毎日にしませんか。
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そもそも職場で不満を感じやすいのはなぜなのでしょう。
会社の同期の仲良しが、仕事で関わることになった途端に関係が悪くなることもありますよね。
あの人は友達ならいいけれど、一緒に仕事をするのは嫌だ、などと言ったりもします。
会社は仕事を評価される場でもあるので、競争することもあるでしょうし、自分を良く見せたいと思う場面もたくさんあるのではないでしょうか。
自分を良く見せたいとか、正しいと思わせたい、というとき、それを阻害するかのような人が出てくると、不満を感じやすいかもしれません。
ということは、不満を感じているとき、私たちは誰かを心の中で責めているのではないでしょうか。
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私のかつての上司で、後に名だたる企業の重職を歴任した方がいるのですが、その方は「他責をやめろ」というのが口癖でした。
当時の私は、何のことかよくわかりませんでしたが、自分自身にとにかく「他責をやめろ」と言い続けました。
他責とは、人を責めること。
その頃の私は職場の人たちに対して、不満ばかり感じていました。まだ若くて経験も浅く、たいして仕事ができるわけでもないのに、人のミスに不満を持ったり、誰かが思ったよりもゆっくり仕事をしているだけでぶつぶつ文句を言っていました。
そして、不満を感じている人との間に新たにやらなければならない仕事ができると、また不満がつのる、という繰り返しでした。
そのように不満を抱え、人を責めている間は、目の前にできた仕事に関して「できない理由」を探してしまうことが多かった気がします。
あの人がこうだから「できない」と。
しかし人を責めることをやめると、全く別の物事の見方ができるようになり、目の前の仕事の「できる理由」を探すようになったと思います。
心理学では投影という考え方があり、この世界は自分の心を映し出しているだけだといいます。
その考え方で言えば、他人を責めている状態は、自分を責めているのと同じことになります。
他人を責めるのをやめることは、自分を責めるのもやめることになります。
他責をやめて、自分を責めることをやめると、心に余裕が生まれ、全く違う角度から物事を見られるようになるのだと思います。
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さて、目の前にある、やらねばならない仕事。その「できる理由」を探すには「自分は不満を持っているこの人に何をしてあげられるだろうか」と考えてみるのもいいかもしれません。
何かをしてあげる、というのは、嫌々ながら恩着せがましくしてあげるのではありません。
自分の仕事にひと工夫することかもしれないし、相手の仕事にほんの少し手を貸してあげることかもしれません。
自身の時間や労力など無理がないように、考えてみるのです。
「何をしてあげられるだろうか」とは、人を責めることをやめて、行き詰った仕事の「できる理由とその方法」を探す一石二鳥の言葉ではないかと思います。
仕事が思うように進まないと感じるときは、人に不満を覚えていないかをまずチェックし、人を責めず自分に何ができるかを考えてみると、思わぬ抜け道が見えて仕事が一歩前に進むのではないでしょうか。