自分には、価値などないと感じている感情が、無価値観です
どんな悩みや問題も、つきつめていけば、今回お話しする無価値観か、罪悪感に行きつくといわれるくらいに、私たちが当たり前に持っている感情の一つでもあります。当たり前に持っている感情ではありますが、無価値観が強すぎると、何かお役に立たなければという思いが強くなってしまいます。そのため、無理をしたり、自分を偽ったりして、つらくなってしまう人も少なくありません。
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「自分に価値などない」と思っている感情が無価値観といわれるものです。
普段から、「自分なんて」と思っている人は、無価値観が強いかもしれません。
中には、「女性(男性)としての自分には価値がない」「社会人としての自分には価値がない」「親としての自分には価値がない」というように、その人が属している立場や役割に対してのみ、無価値観をもっていることもあります。
生まれたての赤ちゃんには、無価値観はないと言われています。
そもそも、価値がある、ないという概念自体を持っていないとも言えますね。
無価値観がないので、おむつを替えてもらっても、ミルクを飲ませてもらっても、「申し訳ない」「お手数をおかけします」「こんな私のために・・・」なんてことは、思いません。
(赤ちゃんに聞いたことがないので、想像の世界ですけどね)
私たちは昔々、みんな赤ちゃんだったわけですが、そこから成長するにしたがって、様々な経験をします。
その中には、自分が誰かよりも劣っていると感じる経験や、自分では不十分だと感じるような経験、自分なんていない方がいいのではないかと感じる経験なども、することになってしまいます。
あえて、感じるような経験と書かせていただいたのは、同じような経験をしても、そのように感じない人もいるからです。
私たちは、様々な経験をしますが、その経験によって感じる感情は様々なのです。
例えば、上に兄弟がいるという環境で育ったとしましょう。お兄ちゃんやお姉ちゃんは、先に生まれているので、自分よりも出来ることがたくさんあります。
小学校にだって当然ですが、先に入学します。
それに比べて自分は、できないことがたくさんある。
「私は劣っているのだ」と、感じるということもあります。
例えば、親に悪気はないのですが、小さい子どもに、「あなたは、まだ小さいから〇〇は、まだできないのよ」と言ったとしましょう。
その言葉に対して、「私にはできないのだ・・・私は無力なのだ」と感じることもあります。
例えば、誰かに否定ばかりされてきたことによって、「私はダメな子なのだ」「私のことは、誰も認めてくれない、私には価値がないのだ」と感じることもあります。
例えば、「おまえが、男の子だったらな」という親の言葉によって、「私は女の子としてうまれてしまった。価値がないのだ」と感じることもあります。
例えをあげればきりがないくらいに、たくさんの場面で私たちは、自分には価値がないと感じてしまうことがあるのです。
上にあげた例を読んでいただければ、わかるように、客観的に落ち着いてみれば、その出来事によって、あなたに価値がないということには、ならないのですが、私たちは、起こった出来事の解釈の仕方によって、無価値観を抱え込んでしまうことになるのです。
無価値観は、自分には価値がないという感情ですので、その価値を補おうと、無理をしたり、自分を偽って生きようとすることも少なくありません。
また、「どうせ、価値など持てるはずはない」と、あらゆることを諦めてしまうということもあります。
罪悪感と同様に、無価値観を強く感じていると、様々な問題を引き起こしてしまうのです。
>>>『無価値観から起こる問題(2)~尽くしすぎてしまう~』へ続く