母が亡くなり、1周忌を、行いました。
葬儀の時は、冷たい雨が降っていましたが、1周忌の時は晴天となりました。
冬の晴天は、寒さが厳しくもありましたが、それにも勝る、思いを感じる事が出来ました。
母の1周忌の時は、下の娘の、大学入試と、重なりました。
下の娘は、もちろん1周忌より、大学入試が優先です。
「ばあちゃんの、写真をスマホに、送って欲しい」と、私は、娘に頼まれました。
娘は、美大を目指していまして、「デッサンの課題が、人物だったら、ばあちゃんを描くよ」、なんて言っていました。
私が、離婚して一人でいる時、子供たちの面倒は、私の母が、見ていてくれました。
その時、下の娘と、私の母の関係は、最悪でした。
母は、マイペースな娘の言動が、我慢ならずに、下の娘を、叱る事が、かなり多かったようです。
朝は起きないし、宿題もなかなかやらない、とにかく、母のいう事を全く、聞こうとしない孫に、孫というよりは、子供として叱っていた、そのような状況だったようです。
でも、母がガンになり、入院している、母のお見舞いに、下の娘と、行ったりすることで、娘と私の母との関係性は、少しずつ良く、なっていきました。
病院で、母が、娘に、お小遣いをあげていまして、私の娘はとても嬉しかったようで、「孫は喜ぶ事が、仕事だね」なんて、話していたりもしました。
お小遣いの効果は、絶大なる効果ですね。
それだけで、良い、ばあちゃんに、なってしまう、そのように思いましたし、祖父母にとって、孫の笑顔は、最高の喜びでもあると思います。
それでも、母が亡くなった時、下の娘は泣く事は、ありませんでした。
無理して、涙を流す事はないと思いますが、涙を流さない娘を見ていて、どれほどの母に対する憤りが、あったのか、私は、母として、複雑な思いでした。
私が離婚しなければ、母と下の娘の関係は、悪くならなかったかもしれないと思うと、私は、胸が痛みました。
母も、娘も、私にとっては、大事な家族です。
1周忌の時、参加できないけれども、娘なりに供養したい思いがあることに、私は、ほっとすると同時に、嬉しい気持ちになりました。
下の娘の、母に対する、愛が出てきたように、私は思いました。
「きっと、ばあちゃんも、デッサンで描いてもらえたら、嬉しいよ」と私が、話すと、「そうだといいね」なんて会話になりました。
因みに、デッサンの課題は、静物画でしたので、祖母を描くことはありませんでした。
物理的に、母は存在しませんが、空から私達家族を、見ていてくれているのならば、私の娘の思い、母は、とても幸せで、嬉しい思いなのだろうなと、思ったのです。
私が、家族に対して、罪の意識を持つ事よりも、そこにある愛に気づき、喜びを見出すだけでよかったのですね。
最後までお読みくださりまして、ありがとうございました。