長い人生の中で、私たちが行き詰ってさまざまな問題を抱える時は、孤独で誰ともつながっていない状態ではないかなと思います。
辛い
苦しい
淋しい
悲しい
そんな思いにとらわれて、
「どうせ、誰も私のこと何て解ってくれない!」
自分から、つながりを切ってしまうことも多いと思います。
反対に、心が満たされている時は、きっと誰かや何かとつながってるのではないでしょうか?
優しくて温かくて、安心できて安らげる、ただただ心が満たされる。
その感覚を“幸せ”という言葉に置き換えても良いと思います。
私の人生の中にも、行き詰って途方にくれた時期がありました。
それでも今、振り返ってみた時に、あのつながりの感覚が私を支えてくれたと思う出来事があります。
ホンの些細なことでしたけれど、それがどれほど貴重なものだったか、認識できたのは幸いでした。
゜゚*☆゜゚
“つながり“という言葉から、私が思い浮かべたのは父の背中。
つまり、父におんぶしてもらった時の、2つの光景がよみがえってきました。
〜1つ目の光景〜
父は子煩悩でした。
長く戦争に行っていて、命ながらえて帰って来てから遅い結婚をしたので、なおさら子どもが可愛かったのだと思います。
大正4年生まれなので、ご多分に漏れず愛情表現が下手な人ではありましたが、父なりに精一杯可愛がってくれていたのは子どもなりに感じていました。
そんな私は姉と2人姉妹ですが、幼いころから日曜日ごとに遊びに連れて行ってもらったものです。
マイカーなどない時代でしたから、目的地に行くにはまずバスに乗って、町の中心地まで出かけなくてはなりません。
動物園や遊園地、デパート(昔は屋上が遊園地みたいになってました)など、ディズニーランドもUSJもない時代でも、家族でのお出かけは、毎回嬉しくて楽しくて
大いにはしゃいだものでした。
思いっきり遊んで一日過ごすと、当然疲れます。
帰りのバスに乗り込む頃には、もうクタクタ。
バスに乗っている時間は30分ほどでしたが、どうしてもその間に眠り込んでしまったものでした。
降りる停留所が近づいて来たら、当然起こされます。
「まゆみちゃん、起きなさいよ。降りるよ!」
母が言います。
私は「う〜ん、ムニャムニャ・・・」
「あかんなぁ、よう寝てなかなか起きひんわ。
お父さん、どうしましょ?」
「そやなぁ。」と父。
実は、私は起きていました。
その記憶はあります。
起きていたけれど、寝たふりをしていたのです。
なぜなら、寝たふりをしていたら、父がバス停から家まで3分程の道のりを、おんぶしてくれるのを知っていたから・・・。
子どもって、小さい頭でいろいろ考えるものです。
姉は私より4つ上でしたから、起こされるとちゃんと起きて歩いてました。
心の中で『まゆみはええなぁ。』と思っていたかもしれません。
〜2つ目の光景〜
幼稚園の頃、私はかなり落ち着きのない子どもだったようです。
自分の興味のあるものにばかり気を取られて、大人の言うことをちゃんと聞かずに、しょっちゅう失敗してました。
親の目から見たら「悪さ」としか思えないようなことばかりやっていたような気がします。
ある日、幼稚園から外に出て、みんなでお出かけすることがありました。
幼稚園の門を出るとすぐに横断歩道があります。
横断歩道を渡る時、先生が「まだよ、まだよ!」と制しているのにも関わらず、私はいきなり飛び出して、スクーターにはねられてしまいました。
幸い大したケガにはならず、手足の軽傷で済みました。
ただし、しばらく通院は必要でした。
近くの医院に通うことになった時、父がよく通勤前に私をおぶって連れて行ってくれたんです。
カーゼの交換は嫌だったけど、父の背中の温かさや安心感に包まれて、心地良かったこと!
近所のおばちゃん達も、そんな私たちを優しく見守ってくれていました。
子どもなりの感性で後先考えずに行動して叱られることもあったけれど、病気やケガをした時には、普段以上に優しくされて
妙に嬉しかったことを覚えています。
゜゚*☆゜゚
それでも思春期の頃には、父に反発して口を利かなくなったり、すねたりもしました。
お父さん、ごめんなさい。
でも、あのつながりの感覚だけは、しっかりと私の中に浸透していたようです。
時を超えて今、人とのつながることの大切さが身に染みるようになりました。
どんなに辛くて苦しいことがあっても、きっと大丈夫!
人とつながって、その愛が感じられた時、人は強くなれるのではないでしょうか?
父の背中が、それを教えてくれたのだと私は思っています。
お父さん、ありがとう!