もう何年か前の事、北陸地方のとある街に仕事で出かけました。
仕事を終えた後、相手先の方に「この街で今一番美味しいと思っている」というお鮨屋さんに案内していただきました。
そのお店は、街中からタクシーで少し走った住宅街の一角にありました。
お店に入ってみると、そんなへんぴな場所(失礼!)にも関わらず、沢山のお客さんで賑わっていました。
どうやら、常連さんが殆どのようです。
私たちはカウンターの席に陣取り、美味しい地酒を酌み交わしながら、煮つけ、焼き物、握りなど日本海の新鮮な魚に舌鼓を打ちました。
どれもこれも美味しかったのですが、中でも寿司は秀逸でした。
魚の味やうまみが程よく自己主張し、さりとて主張し過ぎないように上手く引き出され、シャリは自己主張せず、かといって存在がそこにあって魚のうまみを上手く引き出している、そんなことを感じられるお寿司で、今まで食べた中でも1位、2位を争う美味しさでした。
その店のオーナー板長さんとお話しをお伺いすると、
「素材(ネタ)を大切に扱いたいと思っていて、どこで獲れた魚かで何を食べているかが違い、同じ魚でもその持ち味も変わってくる。魚を見極め、酢飯を変え、シャリの握り方も変えている」
との事でした。
道理で、美味しいお寿司になるわけだなぁと私は合点しました。
「どこで修業されたんですか?」
きっとどこかの有名店で修業をされ、このような味を引き出すコツを身につけらえたのかと思い尋ねてみると、意外にも
「修業はしていません。自己流です」
との答えでした。
私は正直驚きました。
私の感覚では、それまで延々と積み重ねられた技を継承し、その上に自身の切磋琢磨があってこそこのような繊細な寿司が握れるのではないかと思っていたからです。
まさか自己流でこのような味が引き出せるとは思ってもみなかったのです。
「こんなに繊細な味を出す技を自己流で身につけられましたね」
そう問いかけると、板長は
「色々ありましたよ。ここで3軒目の店になります」
とここに至る経緯をポツリ、ポツリと話してくれました。
その話によると、最初は食品会社の営業マンをされていたそうです。
様々な飲食店に出入りされている中で、寿司屋なら自分でできるのではないかと思い立ち、食品会社を辞めてその町の繁華街に店を持たれたそうです。
案の定、そのお店はお客さんが入らず、すぐに駄目になってしまったそうです。
それから暫くして新たにまた繁華街の中に新しいお店を出されたそうですが、その店もうまくいかず、すぐに閉店を余儀なくされてしまったそうです。
借金を抱え、奥様はパートに働きに出て、ご自身もアルバイトをされることになったそうですが、奥様とこれからどのように生きていくかのお話をされたところ奥様は「あなたがやりたいことをやればいい」と言ってくれたので、自分を信頼してくれている奥様の為にも、もう一度寿司にしっかりと向き合う決心をされたそうです。
それから2年、アルバイトをしながら寿司の研究をされたそうです。
生活費は奥様のパート代で賄い、ご自身のアルバイト代は全て寿司の研究に消える生活だったそうです。
板長が頑張れたのは、先ず第1に奥様を幸せにしたい、笑顔が見たいという思いだったそうです。
そして、第2には、お客様の喜んでくれる笑顔が見たいという思いがあったとのことでした。
私たちは、誰かから何かを与えられないと笑顔になれないと思いがちです。
そうして、誰も何も与えてくれない状態を嘆き、人からそれを奪い取ろうとすることもあります。
しかし、本質的には、誰かの笑顔が見たいと思っている生物です。
そして誰かを笑顔に出来なかったときに自分も笑顔になれずに問題を抱えてしまうのです。
人類がどのような営みの上に生き延びてきたかという心理学の1つの分野に“遺伝心理学”がありますが、遺伝心理学では、私たちの基本行動は分け与えることであり、それにより人類が生存をし続けられてきたと解釈をしています。
現代の私達にもそれがプログラムされているのです。
赤ん坊が何かを持っていて、こちらが手を出して「ちょうだい」と言えば、惜しみなくそれを差し出してくれるのもその本能の1つと考えられます。
誰かを笑顔にすること、笑顔になってくれる人が周りにいること、それが私たちの大きなモチベーションになるのではないかと思います。
そして相手の笑顔を見ることができたとき、私たちも笑顔になれるのです。