最近は、子供も大きくなり、夫婦で旅行する事が、多くなりました。
子供が幼い頃は、家族で、年1回は旅行をしていましたが、今は、夫婦二人での旅行です。
私は、一度離婚して、同じ男性と再婚を、経験しております。
夫に対する、不満からの離婚でしたが、いざ離婚して、一人で生活をし始めてみると、私自身、問題だらけだった事に、気が付きました。
家族で旅行すると、きまって私が、切れて夫婦喧嘩が、起きておりました。
夫が、車を運転してくれない、子供の面倒を、見てくれないなど、兎に角、楽しい旅行にはならずに、夫婦の溝が、深まるだけの旅行でした。
しかし、再婚してから、夫婦でする旅行は、旅行する度、絆が深まっていくような、時間となっています。
ここまで、関係性が変わる、嬉しい喜びでもあります。
かといって、夫の言動に対して、私が、寛容になっているのかというと、そういうわけでもないのです。
ただ、私自身が、夫に、その都度、自分の気持ちを話せるようになった事が、より絆を深めていく要素の、一つでもあるのかなぁと、思っています。
夫婦での旅行は、国内の温泉旅行が、多いですね。
温泉が、二人とも、とても好きで、出来たら、露天風呂付のお部屋を、取るようにしています。
計画も、二人で、宿を決める作業から、始まります。
以前は、私が、殆んど決めて、夫がそれに従う、そのような流れでした。
以前も、夫に、意見を聞きながら、計画を練っていたつもりでしたが、夫は計画することが好きではないという、私の勝手な観念から、一人で実は、決めていたように思います。
相手を、どのような人として接するか、それは自分の思い込み、つまり観念があると、私は思います。
夫を、計画することが好きではない人として、私が見ている時、そのような人として、私が接しているのですから、夫もそのように行動していると、私は見ています。
でも、そこで、夫を、計画する事が好きな人として、見ていくと、夫も、そのように行動していると、私が、見えるようになっていきました。
「まるで〇〇のように」(As If)という概念があります。
まるで、そのようであるかのように、振舞って、行動している事、またはそのように、思って接している事です。
私の場合ですと、夫を、計画が好きではないと、思って、私が、行動していた事です。
でも、私が、夫は、計画が好きな人として、接していくと、計画を一緒に立ててくれる人と、私は、夫に対して、見られるようになりました。
夫が、計画に参加している事を、きちんと、見られるようになったのです。
「まるで〇〇のように」(As If)という、思い込み、観念が、自分の人生を作っているとしたら、貴方の思い込みや観念を、よりよい方向に意識してみませんか?
貴方の心が、楽に、軽くなります事、お祈りしております。
最後まで、お読みくださってありがとうございます。