誰かに話し、笑い飛ばすことができれば
こんにちは 平です。
カウンセリングを通じてさまざまな方にお会いしますが、中には“過去”に強くこだわる方がいらっしゃいます。
「こんな親のもとに生まれたから、私はこんな悪い状態になっている。どうやっても変えることができない」
「なぜ、昔、もっと努力しておかなかったのだろう。もう取り返しがつかない」
いわば、変えようのないことにしがみついている状態であるわけです。
こんなときは、たとえば、こんなことが起こっています。
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過去に大きな失敗をした自分がいまだに許せない。
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いまもひどく自分を罰している。
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「これからも、罰多き人生が私を待っているのだろう」と思う。
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なにもやる気が起きなくなる。
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「変わることのできない自分は、また過去と同じような間違いを繰り返すのだろう」と思う。
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過去へのこだわりから悪循環に陥っているわけですね。
しかし、実はこの状況は、自分自身のものごとの見方・考え方を変えるだけで変わります。
それなのに、あまりにひどく自分のことを責めているがゆえ、「取り返しがつかないことをしてしまった」、「もう、なにをやってもムダだ」といった自己攻撃の中にとどまりつづけていることに問題があるわけです。
このようなタイプの人は、ほとんどの場合、認識していることと現実に乖離が起きています。
この乖離があまりに大きくなると、幻聴や幻覚を伴う精神疾患を発症することがありますが、そこまでいかなくとも、人間は大なり小なりこのようなパターンをもっています。
一つは、みなさんもご存じの“被害妄想”です。これは必ず「自分は攻撃されるにふさわしい」と思っているところに起こります。
この思いがあると、「攻撃されるにふさわしい自分を攻撃してくれる人」が必要ですから、まわりの人やものがすべて敵に思えてきたりします。
敵とは友だちになりたくありませんから、誰かと会ったときも親密感を感じる代わりに、攻撃されないようにとものすごく気を使わねばなりません。当然、気疲れしますよね。
「自分がこんなに疲れるのは、まわりが悪いからだ」と思いますから、一人で過ごすことや、孤立を好むようになります。
すると、やがて、社会生活をすることがお化け屋敷の中にいるかのようなことに感じられるようになっていくわけです。
先ほども書いたように、こうした人に共通しているのは、まず、昔してしまった、ものすごく大きな失敗(自分自身でそう思っているだけで、実際は大した失敗ではない)にしがみついていること。
そして、「許されない罪を犯した」と、その罪にしがみついていることです。
だいぶ以前のことですが、あるヒステリックな男性の案件を扱ったことがあります。
彼の問題の根っこにあったのは、小学3年生のときにしたちょっとしたいたずらでした。
友だちの上履きを隠したところ、学校を巻き込むような大騒動になってしまったのです。
彼が犯人だということはばれなかったのですが、以来、「いつかこの罪がみんなに知られ、自分は罰せられるのではないか」という恐れを彼はもちつづけることとなったのです。
まわりの人がまるで自分を追いかける刑事のように思えますから、もちろん、親密感をもつどころではありません。
小学3年生のあのとき、誰かに打ち明けることができていれば、あの出来事も笑い話になっていたことでしょう。
今回のような場合、この物語はたいてい事実を超えた壮大なストーリーへと転換されていきます。
「ひどく悪い誰かが、自分になにかをしたがゆえ、自分は上履きを隠さざるを得なかった」というように。
あるカウンセリング案件では、こんなストーリーがありました。
「ものすごく残念な両親と、たえず暴力をふるう兄をもつ女の子の被害者ストーリー」というものです。
が、その根っこにあったのは、おかあさんが兄妹のおやつとして買ってきた2つのプリンを彼女が一人で食べてしまったという出来事でした。
彼女はこのことに激しい罪悪感をもち、「こんな私になったのは、両親の育て方が悪く、おにいちゃんの愛情がなかったから」という壮大なストーリーを作っていたわけです。
彼女に限らず私たちは大なり小なり、同じような方法で“罪悪感ストーリー”を“被害者ストーリー”に換え、自分を責めているのと同じだけ、自分以外の誰かを攻撃しようとしています。
あなたも、不幸だと思っていることの根っこにあるのは、昔々の無邪気ないたずらだったりはしないでしょうか?
それを誰かに話し、笑い飛ばすことができれば、それだけで簡単に、被害者も加害者も以内平和な世界を取り戻すことができるのです。
では、来週の『恋愛心理学』もお楽しみに!!