母が他界して、今年の3月で、二年の月日が、経ちます。
有難いことに、未だに、母の死を、惜しんでくれている、母の、友人がいます。
とても、嬉しい気持ちと共に、切ない気持ちにも、なっている、自分がいます。
母が、家族だけでなく、周りの方から、いかに、愛されていたのかと、感じる、嬉しさが、一つ。
そして、母が、もう、私の傍に、いないという事。
すなわち、私は、もう物理的に、母と話すことができない。
そう思うと、寂しい気持ちが、湧き上がります。
夫に、その気持ちを、話すと、「誰しもが、通る道だよ」と、優しく諭してくれます。
私が沈んでいても、夫は、そっとしておいてくれて、それが、とても心地がいいのです。
目に見えない、心でしか感じられない、夫の気持ちが、私の、心の支えになり、私の心は、満たされています。
母は生前、家の敷地で、畑を作っていて、四季折々に、沢山の野菜や、お花を作っていました。
夏には、キュウリや、トマト、スイカ、冬は長ネギ、白菜など、何時も、母の作った野菜が、食卓を、賑わしてくれました。
水仙、菊、スターチスなどの、花なども、作っていました。
その畑も、今では、ただの土地となり、私や、父は、日々、草ぬきに、追われています。
田舎なので、結構な草と、格闘する日々に、少々どころか、かなり、うんざりしています。
先日、私が、草抜きに、精をだしていたら、畑から、球根が、ひょっこり顔を、出しました。
夫に話すと、水仙の球根ではないかと、話していました。
その球根を、見て、私は、心が、喜び、とても暖かい気持ちに、なりました。
何故なら、大地に根づく、母の置き土産のように、感じたからです。
畑仕事は、母だけが、していた仕事でした。
ひょっこり、現れた球根が、「私は、ここにもいるよ」そのように、母が、私に、語りかけている、そう思えたのです。
母が、空からだけではなく、大地からも、私を見守ってくれている、そのように、私は、思いました。
何故そのような思いに、なったのかは、自分でもわかりません。
夢枕に、亡くなった人が、現れて、何か、話しかけられた、そのような感覚に、近いものがありました。
そして、私は「母にもっと、甘えたかったなぁ」という思いにもなりました。
今年、私は、50歳になりますが、母に「甘えたかった」という思いを、心で、初めて、感じたのです。
私の、家族の話をしますと、私の祖母は、後妻で、家族のトラブルメーカーのように、私は、思っていました。
勿論、私の、勝手な思い込みです。
そして、父も幼くして、母を亡くし、とても可哀そうな人と、思いながら、育っていきました。
祖母は、私の、母の叔母です。
家族のなかで、私と、妹だけが、みんなと、血が繋がっていて、私達姉妹は、家族全員に、愛されている状態です。
それが、私は、家族に、とても、申し訳なく、人に甘えたりする事、そして、自分が幸せになる事を、許せずに、今まで、生きてきました。
今、私が「母に甘えたかった」という思いを、自分に、許せるようになった事は、自分の、器が、大きくなった事でもあります。
母の置き土産と、共に、私は、自分の欲求(ニーズ)を、一つ、自分に、許す事が出来た事、とても、幸せに、思います。
母に甘えたかった思い、自分の欲求(ニーズ)を許せるという事は、甘えたいという気持ちを、理解できる事になります。
私は、今まで、甘えている人をみて、心のどこかで、イライラしていましたが、その気持ちが、軽減しています。
自分を、許す事って、一番、難儀な事かもしれません。
私は、長い間、自分を許せずに、過ごしてきました。
でも、その時間は、私にとって、必要な時間だった、それだけの事に、過ぎません。
自分を許せずに、苦しんでいる方、多いかもしれません。
でも、何時かは、自分を許せる日は、やってきます。
時間は、関係ありません。
貴方が、自分を許せる日がきた、それだけがとても、大切な事になります。
貴方の、心が、少しでも楽に、軽くなります事、お祈りしております。
最後まで、お読みくださり、ありがとうございました。