つい人の輪からつい離れたくなるという方の心には、何かしらの「痛み」があるという可能性の話。
実はその痛みゆえについ「人に合わせる」「人の期待に応えることが辛い」と感じてしまい、人から分離したくなる方も少なくないようです。
意識的には人付き合いが面倒と感じていることもありますが、実は、そうしないと安心感を感じられないという心の状態が見えてくることもあるのですね。
さて、前回は、つい人の輪からつい離れたくなるという方の心には、何かしらの「痛み」がある可能性についてお話させていただきました。
そしてそういった痛みは、多く「無力な私」という観念が伴っていることが多いものなんですね。それに自覚的であるかどうかは別にして、それゆえに無力さを感じないように人から分離する「クセ」を持っている方も少なくありません。
すると、こういった傾向を持つ方が出てくるんですね。
例えば、
・職場で自分がお役に立てそうにないな、と思うと、すっと姿を消す。
・仕事や仲間の付き合いでも、あまり親密ではない人たちから飲み会に誘われると、自分は望まれていないような気がして断ってしまう。しかし誘われないと誘われないで傷ついてしまう。
・人に「ご一緒にどうぞ」と誘われているのに、すでに仲良くしている人の輪の中に入ることが苦痛に感じる。
・居場所のなさが何より嫌で、パートナーなどにもそばにいることを常に求めてしまうが、パートナーと一緒にいても特段嬉しわけでもなく、普通の日常を淡々と過ごしている。
どこかうまく人の輪と馴染めないという感覚は、自己価値や自らの成熟さという意味では「私は大人じゃないな」と感じ、自己否定感につながりやすいことでもあるんですよね。
そして、そんな私と出会うとき、私に価値がないと感じれば無価値感を、無力な私が罪だと感じれば罪悪感を、恥ずかしいと感じれば、恥であるという嫌悪感を自らに向けるようになることも多いようです。
ただ、実際には「人の輪の中に入らない」という行動には、また違った意味が隠れているケースも存在するのですね。
特に「人に合わせる」「人の期待に応えることが辛い」と感じている人に多く出てくるパターンです。
例えば、「職場で飲み会に誘われた」という事例で考えますと。
どこか人の輪から離れるというパターンを持つ方は、本当は断らないほうがいいのだろうけど、「なんだかめんどうだな」と感じて一人で居たくなる方がいます。
ここでは、「人と関わらないこと」で、何かしら安堵感を感じている私が存在しているわけですよね。
ただ、ではどうして人と関わらないことで安堵感を感じているのか?を考えていくと、多く「人の期待に応えなくて済むから」とケースも少なくないのです。
本当は人の輪の中にいたい、関わりたいと思っていても、実際、人の輪の中にいると「人の目ばかり気にしてしまい、人に合わせる行動」ばかりしてしまう。
だから、実は人といると疲れてしまったり。恋愛などであれば、大切な人のそばにいると、いつも何か自分を作って行動していないといけないような感覚にとらわれてしまう。
本当は人と関わりたいけれど、人の輪の中にいると辛いので、自ら人から離れてしまいたくなる。
そんな、いつもどこか気持ちと行動が真逆になる、裏腹な気持ちを感じている、切ない気持ちを抱えてしまうパターンです。
そこには「人の期待に応えることに疲れ果てた」ような心の痛みが存在していることも少なくないのです。
私達の学ぶ心理学では、期待のあるところに失望あり、とも言いますし。
期待は常に期待はずれを生む、とも考えます。
だから、このように人の期待に応えようとして人付き合いをしている方ほど、人との関わりで思ったような親密感や安心感を感じられずがっかりした経験や、気を使いすぎるだけで辛い経験ばかりをされてきた方も少なくないようです。その結果、実際に人と関わるとなると、またうんざりしてしまって、自分を人から分離させることにメリットを感じはじめるんですね。
もちろん、人の輪から離れれば一時的に安心感を感じますから、その状況に満足していればいのですが、そうではないとお感じになる方にとっては大きなお悩みになっていくようです。
そんな時に、あなたが自分自身を理解し、変化させていくためのヒントとなるものが、あなたのセルフイメージなのですね。
特に、つい人から分離したくなる方の中には、「私は人の期待に応えないと、愛にふさわしくなく、愛されるような存在ではないのかもしれない」といった自己概念が存在していることも多いのです。