変化のプロセス

世の中には様々な価値観や考え方を持った人がいます

様々な人と関わる中でそれらがぶつかることは日常茶飯事です。だから、ある意味生きにくい世の中なのです。
その生きにくさが許容できない状態になった時には、自分自身が何らかの変化をすることが必要になります。
なぜならば、自分自身の価値観や考え方、それに基づく行動などが人のそれや現在置かれた状況と摩擦を引き起こしているからです。
本文では、人が変化しようと決意した時に、どのようなプロセスを経るのかをご紹介しています。

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ある意味、生きにくい世の中かもしれません。

私達は無人島にポツンと一人で暮らしているわけではありません。
人間は“社会的動物”ですから、好むと好まざるとにかかわらず、常に他人や何らかの集団と関わりを持って生きていかなければなりません。現代社会の中で生きていくシステムがそのような形に構築されており、また私達人間の仕組みも遺伝的にそのようなシステムにプログラムされています。

例えば、仔馬は生れ落ちてすぐに立ち上がることができますが、私達人間は動物としては早産で、生まれてすぐに立ち上がることができません。養育者の庇護のもとに身体が成長し、様々な事柄を学習して、色々な意味で“一人立ち”できるようになっていきます。この仕組みは遺伝的なものであり、人間としてこの世に生を受けた以上、逃れることができません。従って私たちの心も人と関わりを持ったり、集団形成をしたりするように形作られており、人と関わらないで生きていくことには何がしかの違和感や生きにくさがあるのが現実です。

今までの傷ついた経験から、人とはかかわらない様に生きていこうと決意し、それを実践していたとしても、多くの人が心の中では寂しさや悲しさなどの違和感を抱きながら生きているのではないでしょうか。ふと、そんな思いが湧き上がってくるのではないでしょうか。

世の中には様々な価値観や考え方を持った人がいます。

それらの価値観や考え方は、その人たちが様々な状況下で生き抜くために身につけた術です。子供の頃の養育環境に始まり、人生の中で経験してきた様々な出来事がその人に中で反射的な反応として、あるいは咀嚼されて身につけられ、その人の中に根付いていきます。私達一人一人の経験は異なるのですから、自ずと人の数だけ価値観や考え方があるということになります。

従って、様々な人と関わる中でそれらがぶつかることは日常茶飯事です。だから、生きにくい世の中なのです。

それでも、まだその生きにくさが許容できる範囲であれば、私たちは何とかそれをやり過ごしながら生きていきます。時に怒りを覚えたり、時に涙を流したりしながらも様々な方法でそれらを発散して生きていくことができます。

しかし、その生きにくさが許容できない状態になった時には、自分自身が何らかの変化をすることが必要になります。

なぜならば、自分自身の価値観や考え方、それに基づく行動などが人のそれや現在置かれた状況と摩擦を引き起こしているからです。自分は自分で変化させることができますが、人や状況は変化させることができません。変化するとしても、それは偶然か、自分が変化して周囲に何らかの影響を及ぼした結果なのです。従って、自分が変化することが自らが選択できる方法なのです。

自分が変化するのはとても怖いことです。

なぜならば、それは今まで生きるために身につけてきた術を変更することに他ならないからです。生きるために必要と考えてきた“何か”のパーツを手放し、そこに今まで自分には無かった“何か”を取り込む必要があるからです。

従って、自分が変化する為にはそれなりの決意が必要になります。
更に言えば、それなりの決意を持つほど重要な生きにくさなのかどうかが問われるわけです。例えて言えば、医者嫌いの人が自ら医者へ行こうと思うのは、痛みや辛さ、不安が医者へ行かないということを棄てるほどかどうかと同じです。

変化することを決意したとしても、私達はその後も変化を阻むような様々な罠に苦しめられます。変化をすることは心理的に相当の怖れを乗り越えることになりますから、何らかの言い訳を作って変化をしなくて済まないかと模索します、これは心理的な防衛です。

例えば「こんなことしても変わらないのではないか」と思ったり、変化する事で今までの自分の人生を否定してしまうような感じになったり、誰かや何かに屈服してしまうような気持ちになったり、自分が自分で無くなるような気持ちになったりします。これらは時に怒りや悲しみ空しさの感情を伴うこともあります。

また、変化するには少し時間を要しますが、「一刻も早く楽になりたい、変化したい」と思うと、焦りが生じます。

変わろうとしたけれども変われなかったという経験があれば、「やっぱりだめか」思ったり、「騙された」と思ったり、「自分は駄目だ」と自己攻撃をして疲れてしまったりします。

私の経験から言えば、変化は一直線に上昇するような連続した直線状態には起こりません。ステップ状(階段状)にやってきます。何かのキッカケで少し自分が変化してもその次には踊り場があって変化が小休止し、また次の何かのキッカケがあって次のステップを登るという感じです。踊り場がどの程度続くかは様々な要因がありますが、最初は怖れが強いので踊り場が比較的長くなることが多いように思います。ステップを登って行くと変化することを受け容れやすくなるので、徐々に変化は早まっていく感じになります。

しかし、自分が極めて強くこだわっている大きな“壁”にぶち当たると、また少し時間がかかることもあります。小さな踊り場が続く階段の先に、いくつか大きな踊り場が待っているという感じです。

自分で自分の変化が実感できるのは、人があなたの変化に気づくよりも遅れる傾向があります。それは、自分自身が意識しないうちに雰囲気が変化したり、言動が変化したりしたことを人の方が敏感にキャッチできるからです。

人は人と接する時、今までの経験から「こんな雰囲気に違いない」「こんな反応をするに違いない」「こんなことを言うに違いない」と予測をします。その予測が外れたときに、ある種の衝撃をもって変化をキャッチするのです。

一方、何らかの競争心や焦りがあると、自分自身で「自分は変化している」「自分は変わった」と思いたいものですが、本当に変化をしているかどうかは自分自身が一番よく知っています。
自分の変化は、往々にして人から「変わったね」と指摘されて気が付くことがとても多いのです。

自分が変化するとは、価値観や考え方が変化し、怖れからこだわっている事や強く意識していることを手放すこと、そしてその結果として今ある状況を受け容れる(原点に立つ)ことです。そして、あなたが徐々に楽になっていくのです。

私達が生物ゆえに、多くの人が怖れから意識していることとして、自身の“命”の問題があります。

この命の終わりは、普段は意識しない人が多いと思いますが、それを意識せざるを得なくなると、未知の世界への旅立ちという怖れはもちろんのこと、様々な事柄が想起され、強い不安や後悔の念などが湧き上がって来て受け容れることがとても困難な事柄です。

この“命の終わり”を受け容れる過程について、癌患者のターミナルケアの研究を行った米国の精神学者エリザベス・キューブラ・ロスはその著書“死ぬ瞬間”で患者の心理変化を次の5段階にわたると提唱しています。

第1段階:否認と孤立
死の運命を拒否し、周囲から分離して孤立します。

第2段階:怒り
死が事実だと自覚し、「どうして私が死ななければならないのか」と問い、怒りを感じます。

第3段階:取引
死の事実を避けられないかと、「いい子にしますから」と“神様”と取引をしようとします。

第4段階:抑うつ
どうしても死は避けられないものとわかり、気持ちが滅入り、抑うつ状態になります。

第5段階:受容
死を受容し、生きることへのしがみつきがなくなり、心が平安になります。

私達は、死に限らず、大なり小なり受け容れたくないことは同様の過程を経て心を変化させ、自身が変化して受け容れて楽になっていくように思います。

自分が変化する事は、容易なことではありません。
しかし、もし今の状況が変化するに値する苦しみや心の痛みを伴っているのであれば、自身が変化する事でそれらを緩和することはできます。
そして、自分が変化するのか否かを選択できるのは、自分自身なのです。

(完)

この記事を書いたカウンセラー

About Author

恋愛や夫婦間の問題、家族関係、対人関係、自己変革、ビジネスや転職、お金に関する問題などあらゆるジャンルを得意とする。 どんなご相談にも全力投球で臨み、理論的側面と感覚的側面を駆使し、また豊富な社会経験をベースとして分かりやすく優しい語り口で問題解決へと導く。日本心理学会認定心理士。