自分が持つ依存性を認めてあげる
こんにちは 平です。
子ども時代の私たちにとっては「いかに親に愛してもらうか」ということがすべてでした。
自分で自分の欲求を満たせないので、だれかにかまってもらったり、なにかをしてもらったりしようと、自分のことを一生懸命アピールするわけです。
小さいころはだれもが“かまってちゃん”だったわけですね。
しかし、成長するにつれ、あなたは自分で自分のことに対処することを求められるようになります。
自立するためには、“かまってちゃん”としての自分の依存性を否定していくことが必要となっていきます。
すると、あなたは自分の中の“かまってちゃん”にこんなふうに言い聞かせながら、自立の階段を上っていくわけです。
「そんなにダダをこねたって、もうだれもかまってくれないぞ!」
「子どもみたいにダダをこねても、もうかわいくもなんともないぞ!」
そんなふうにして自分が自立していくと、今度は依存的なだれかを見たときに、その人に対し、あのときのセリフを言いたくなってきます。
「いいトシして、なにダダをこねてるんだ。ああ、恥ずかしい!」などと。
依存時代の自分を批判した度合いだけ、依存的な人を見ると攻撃したくなってくるわけです。
そして、自立的な人は、そんな自分をとても嫌います。
「ああ、自分はなんてイヤな人間なんだ‥」とか「自分はほんとに冷酷人間だな‥‥」などと、自分を責めたりするわけです。
しかしながら、この攻撃の感情のその下をのぞいてみれば、こんな思いが隠れているはずです。
「そんなことをしていると、みんなにバカにされるよ。私はみんなに受け入れられるようにと依存的なことをやめたよ。あなたも早くやめたほうがいいよ」
さらに、こんな思いもあるかもしれません。
「私だからいいようなものの、ほかの人だったら、きっとあなたのことを軽蔑して相手にしてもらえなくなるよ。私が見るかぎり、あなたはそんなに依存的にならなくたって、十分、素敵なのに」
ここで考えていただきたいのは、あなたの前にいる依存的な人が、子どもや年老いた人だったら、あなたは攻撃的な感情はもたないだろうということです。
子どもやお年寄りなら、依存的であっても仕方ないと思うからですね。
ということは、攻撃的な感情をもってしまうときのあなたは、心のどこかでその人のことを一人前の大人として扱っているということがいえるはずです。
だからこそ、「自立するほど成熟したあなたが、なにを依存的なことを言っているの?」という思いが湧いてくるのですね。
依存的な人を見たときに攻撃性を感じてしまうというのは、それは、あなたがまだ依存から完全に卒業したとはいえず、「依存を隠している」という状況のときによく起こるようです。
「私ががまんしているんだから、あなたもがまんしなさいよ!」、「あなたが依存的だと、私もかまってもらいたくなっちゃうじゃないの!」というかんじです。
依存を抑圧しているというわけです。
この状況から卒業するために必要なことは、依存性がないふりをするのではなく、自分が依存性をもっているということを認めてあげることです。
それだけで、人が依存性をもつことを禁止しなくなります。
真の自立とは、他者の依存を禁止することではなく、他者の依存を受け入れてあげるほどあなたが寛容になるということです。
これからも、会社でリーダーになったり、家庭をもったりして、あなたが頼られる存在になればなるほど、人はあなたに依存してくるでしょう。
そのとき、まわりの人の依存をしっかりと引き受けてあげられることが、真の自立であり、リーダーシップとなるわけです。
その大事なカギとなるのも、昔、嫌っていた依存をどれだけ受け入れられるようになったかといえそうですね。
では、来週の『恋愛心理学』もお楽しみに!!