我が家にはこの春小学3年生になる娘がいます。
高校3年生の息子と3人暮らしです。
夜、電話カウンセリングを終えて寝室に行くと、時々小さなかわいらしいメモ用紙が枕元に置いてあります。
娘からのラブレターです。
「きょう、パジャマかってくれてありがとう」とか
「お仕事がんばってくれてありがとう」とか
「○○をいいっていってくれてうれしかった」とか
「かんなのためにやってくれてありがとう」とか
「いそがしいのにこまらせたりおこらせてごめんなさい」とか
「ほめてくれるときままのことだーいすきだよ」とか
「ぎゅってしてくれてありがとう」とか
ちょっとした気持ちを伝えてくれるものです。
とっても温かい気持ちになります。
気持ちは、伝えているつもりでも、なかなか伝わっていないことがよくあります。
相手がどのくらい受け止めているかはわかりませんし
言ったつもりが、ものすごく控え目だったり。
察してくれるだろう、伝わっているはず、と思いすぎたり。
実際にわたしもそんな風に思ってくれてたんだ・・と小さなラブレターを読んでいます。
改めて伝えてくれることで、そうだったのね、と改めて知り直し、受け取ることができます。
それは本当に、伝えてくれてありがとう、なんです。
こんな風に、素直に、気持ちを伝えること
わたしはどれくらいできているだろうと思うと、とても娘にはかなわないかもしれない。
いや、絶対にかなわないです。
幸せの秘訣は、いつも自分から与えること。
それから主体性を持って関わることとと言われています。
ほんとうにその通りだなと思います。
娘が自分から、お母さんに伝えようと思うこと。
それは主体性を持って自分から与えるという姿勢、そのまんまです。
それによってわたしは本当に幸せにさせられてしまうし
「お手紙ありがとうね」と言うと、娘もとっても嬉しそうにします。
自分が誰かに、自分を与えること(表現しようとすること)
自分がしたことで、だれかが喜んでくれることというのは
自分が誰かの喜びであるということです。
ちょっとしたお手紙を書いてくれることによって、コミュニケーションで確認する機会をもらえます。
そんな喜びの循環を自分からはじめてくれます。
その純粋さと優しさに、いつも心が洗われるような気持になる。
日々の忙しさですぐまた曇ってしまう心に、何度もラブレターが届いて救われます。
大人になると、相手にどう思われるかが気になって
自分から行動することが怖くなることが多いです。
もし嫌われたら、もし笑われたら
とってもいやな気持ちになる
そんな気持ちになるくらいなら、と自分の思いを引っ込めてしまうことって
たくさんあるかもしれません。
ほんとうは嫌われたくない、笑われたくない
大切に受け止めてほしい。
大切な相手ならなおさら。
でも、勇気が出ない・・・
そうやって、せっかくの思いを表現できずにいたりするかもしれません。
文句や不満が膨らんで手に負えなくなると「この嫌な気分を何とかして」という形のコミュニケーションをしてしまうようなことがあります。
したくない場合は我慢してしまいますから、だんだん何も言えなくなっていきます。
言えないのは言いたくないからかもしれない。
ほんとうに言いたいことは、大切に思っている、自分にとって相手が重要であるということかもしれません。
そしてそんな重要な相手にとって自分がふさわしくないように感じていたり、比較してしまって縮こまってしまったりしているのかも。
わたしたちはどこかで自分にとって誰かがとても重要な存在になることを怖れます。
でも本当はもう、文句や不満を感じる相手って自分にとってかなり重要な人です。
大切な人。
大切な人を大切にするコミュニケーションってどんなだろうって興味を持って
まずは自分と対話していくと、文句や不満の下にある気持ちや自分の思い癖に気が付けるかもしれません。
それからコミュニケーションしても遅くはないです。
小さくても、あなたがいてくれてうれしい。
あなたが大好き。
あなたにこんなにありがとうがあるよって
伝えていけたらいいなと思います。
うまくいく人間関係のコツは自分から与えることと主体性を持ってかかわることだから。
息子は息子で
「俺、気づいたんだけど・・・楽しくやろうと思う」
「部活の引退まで、自分からいっぱい笑おうと思う」
なんて話してくれます。
自分から、というところが一番大きいポイントなのだそう。
「待ってても、よくならないし、つまらないのはいや」
そんな風にまじめにいってくれる時、思わず笑ってしまいます。
うまくいかないこともたくさんあって、怒ったり泣いたりああでもないこうでもないって悩んでいたのがうそのようです。
自分なりに導き出した納得のいく「あり方」みたいです。
きっと、うまくいくと思います。
ほんとうに子供にたくさんのことを教えられます。
わたしも、子供のような心で
自分から、誰かを自分の喜びにしてあげられる人でいたい、そんな風に思います。
いつも自分がどうなのかを忘れずに。