自分を理解することをテーマにすることで自分を許しやすくなることがあります!
罪悪感を感じるときは、愛の目を持って自分を理解してみようということをテーマにするというのをオススメしたいと思います。
なぜなら、そうすることで自分のことを許しやすくなることがあるからです。
***
⚫️自分のことを愛を持って理解するのをテーマにしよう
罪悪感は心地よい感情とは言いがたいです。
罪悪感の強さによって心に引っかかりがあるという表現のレベルの方から、罪悪感で苦しいという表現がしっくりくるレベルの方から、人様々です。
いずれにしても心地よい感情ではないので、罪悪感からは解放されたほうが良いですね。
罪悪感から解放されていく為に試してもらいたいのが、
“自分のことを愛の目を持って理解することをテーマにする”ということをオススメしたいと思うのです。
*ここでの愛の目は自己愛の目ですね。
罪悪感には2種類の罪悪感があります。
何かしてしまったという罪悪感と、何かしていないという罪悪感です。
なぜそうしてしまったのか(何かしてしまったと言う罪悪感)、
もしくは、なぜそれができなかったのか(何かしていないという罪悪感)
ということを愛の目を持って理解していくというのをテーマにしてみるのです。
何故、理解していくことをしていくかというと、そうすることで罪悪感が緩んでいくことがあるからです。
⚫️例えば・・・
例えば・・・
ある奥様が、飲んでへべれけになって帰ってきたご主人さんに対して怒鳴り散らしてしまったということがあったとします。
付き合いで飲みに行くことになったとご主人から連絡があったものの、遅く帰ってきたご主人さんに対して腹を立ててしまったのです。
「いったい何時まで飲んでるの!(怒)」
「仕事がたまに早く終わった時ぐらいは、飲まずに早くお家に帰ってきたらどうなの(怒)」
「あなたは家族の事なんてどうでもいいんでしょう(怒)」
「仕事だからとか、付き合いだからとか言えば、家族のことをほったらかしにしていいわけじゃないよね(怒)」
そして、明くる日になって感情が冷めやってから罪悪感が出てくるのです。
『夫も行きたくて行ってるわけじゃなくて仕事の付き合いで飲みに言っているのにひどいこと言っちゃったなぁ・・・』
『家族のために夜遅くまで働いているのに、家族の事なんてどうでもいいでしょうってひどいこと言っちゃったな』
『家族のために頑張っているのに傷つけてしまったんじゃないかな』
と、感情が一旦落ち着いてから罪悪感が出てきたりします。
こんな時に、
自分のことを愛の目を持って理解することをテーマにしてみるのです。
なんで、あんなことを言ってしまったのかを、愛の目を持って理解しようとしてみるのです。
言った事は良くなかったのかもしれません。
でも、愛する人のことを怒鳴り散らしたいと思う人や、傷つけたいと思う人はいませんよね?
そうにもかかわらず、そうしてしまうには理由があるはずです。
その理由を考えていくのです。
『夫も仕事で頑張っているから、さみしいって言っちゃいけないってずっと我慢してたのかもしれないな』
『新婚当時からずっと言えずに我慢してた気がする。そう考えると6年も我慢していたんだなぁ・・・』
『私のことよりも仕事の事が大切なんじゃないかって、心のどこかでずっと不安だったのかもしれないなぁ・・・』
『だから、さみしさと不安が爆発してあんなことを言ってしまったのかもしれないなぁ』
『家族のことなんてどうでも良いんでしょうと言いたいわけじゃなくて、本当は寂しいからたまには早く帰ってきてと言いたかったのかもしれないなぁ』
『今度からは、爆発させないように我慢せずに自分の気持ちを伝えるようにしよう。不安なことは小まめに解消していくことにしよう』
などのように、
なぜそうしてしまったのかを理解していくのです。
(もしくは、なぜそれができなかったのかを理解していきます)
⚫️自分に対して優しい気持ちが湧くことがある
そうすると、
『6年も我慢している自分のことを可哀想だなぁ・・・』
などと、自分に対して憐憫の情が沸いてきたり、自分に対して優しい気持ちが涌いてきたりなどで自分を許しやすくなることがあります。
そして、大切なのは次どうするかであり、罪悪感を使って自分を責め続けることではないのです。
(*この例でいうと、『今度からは、爆発させないように我慢せずに自分の気持ちを伝えるようにしよう。不安なことは小まめに解消していくことにしよう』
の部分ですね。)
もし、あなたが罪悪感を持ってしまった時は、自分を愛の目を持って理解するということをしてみてくださいね。
そして自分を理解することで罪悪感から解放されることができるといいですね。
>>>『罪悪感から解放される(4)〜誰かの為に自分を許してみる〜』へ続く