愛している人を自分は救わなかったという気持ち
こんにちは 平です。
よくいただくご相談に浮気に関する問題がありますが、そんなとき、当事者の深層心理ではどのような力学が働いているのでしょうか。
ご相談をいただいたのは、とある企業経営者の男性です。長年、連れ添った奥さま以外に若い愛人ができ、その存在が奥さまにばれてしまいました。
そして、愛人と別れようとしたのですが、愛人からも激しく責められ、罵られ、「別れるぐらいなら死ぬ」とまで言われ、にっちもさっちもいかなくなっていたわけです。
この浮気の問題以外には、彼はやさしい人格の男性で、なにかあっても「まあ、いいか、おれさえ辛抱すれば」と思いながら生きてきた人でした。
そうして抑圧した感情や欲求の唯一の発散方法が、「わがままな愛人を作る」というものだったのです。
心理学で“相補性”というのですが、人は自分にないものをもっている人に魅力を感じます。
彼はがまんしたり、自分を押し殺すことが多いタイプだったので、自分にはまったく許していなかったわがままさや自由奔放さをもった彼女に魅力を感じたわけです。
ここがまさに“感情の力学”で、理性とは違う人の心の動きなのですね。
そして、その感情の力学に流されてしまった結果、彼はいま、奥さまを取れば愛人から攻撃される、愛人を選択すれば奥さまから攻撃されるという、まったく出口のない場所にいるわけです。
自分が蒔いた種ですから、「自業自得だ」と彼は自分を責めます。
が、基本的には人望の厚い人で、よき経営者でもあるものですから、彼の友人がなんとか彼を救おうとカウンセリングに連れてきたという経緯なのでした。
さて、この件は表面的には浮気に関する問題です。
しかし、潜在意識の中の感情のレベルで、彼は「自分は人を傷つける人間だ」と自己をひどく評価していました。
この考え方が、がまんしたり、禁欲的になったりという彼の人格を作ってきました。そして、そのがまんや禁欲主義が今回の浮気の問題を作り出したわけです。
さらに、彼の無意識の領域で、彼が今いる状態は一種の地獄でした。
なぜなら、本来、彼が愛したいその人を自分は傷つけ、愛するどころか相手に迷惑をかけているからです。
すると、「こんな私なんか、存在しないほうがよい」とか「私はなぜ生まれてきたのだろう。生まれてこないほうがよかったのだ」という否定的な思考が生まれ、ひどい罪悪感の下に自分を責めつづけます。
つまり、私たち心理学を専門とする者から見ると、まず、救わねばならないのは、この地獄で一人苦しんでいる彼なのです。
もっというならば、この地獄のパターンが彼の禁欲主義を作り、彼に人生の正当な配当をもたらさずにきました。それがすべての問題を引き起こしていると考えるわけです。
彼の生い立ちについて聞くと、ご両親はいつもケンカしていたそうです。父親も経営者で経済的な豊かさはあったものの、ご両親はあまり幸せそうではありませんでした。
そして、彼はいつも「おとうさんのことも、おかあさんのことも助けることができない自分は役立たずだ‥‥」と自分を責めていたようです。
そこで、私は彼に、「愛している人を、自分は救わなかった」という地獄に苦しむ自分にフォーカスしてもらうというセッションを行いました。
どれぐらい、自分が人の愛や光でありたかったのかを思い出してもらうとともに、それができなかったという苦悩をもう一度感じてもらったのです。
彼は体を震わせ、号泣しながら、そのときの自分を受け入れてくれました。
このセッションのあと、彼は一人で苦しむのをやめて、奥さまと愛人に心からわびたそうです。
彼はいつも本音を言わず、孤独に耐えるタイプでしたので、じつは奥さんも孤独感を感じていました。一方、そんな彼のことを愛人である彼女はなんとか喜ばせたいと感じていたようです。
最終的に奥さまが彼を許し、愛人さんは身を引き、この夫婦はなんとかやり直すことができました。
その後、彼の奥さまからこんな言葉を聞くことができました。
「私たちはこの問題を通して、ほんとうの意味で夫婦になれたと思います。彼のいままでの人生の苦悩を知ることができ、私は彼を責めるのではなく、今度は彼を助ける側にまわりたいと思いました」 問題を乗り越え、夫婦の絆が強まったことを感じられる言葉でした。
では、来週の『恋愛心理学』もお楽しみに!!