私たちは、出しゃばったり、自分の意見を押し通したり、主張が過ぎたりするのを嫌うところがあります。
その代わりに、周りの人の顔色を見たり、空気を読んだりできることは、大人になると必須科目のようになって、人の集まる場所での、自分の振る舞いに大いに採用することとなります。
「遠慮しなさい」
昔、友人が、子どもの頃に、飛行機に乗ったら、カゴいっぱいのキャンディが回ってきたのだそうです。
嬉しくて、ひと掴み、もらおうとしたら、お母さんがこう言って、たしなめたという話を聞きました。
子どもらしい、可愛いエピソードですよね。
遠慮というのは、まわりや、相手のための「思いやり」のひとつの形ですよね。
少し下がって、相手に譲ってあげる行為です。
日本の文化のような側面もあるかなと思いますが、遠慮も過ぎると、だんだんとこちらにストレスがたまったり、いつも我慢ばっかりしているという文句になったりします。
また、相手にとっても、あまり遠慮ばかりされたら、「申し訳ない」ような気持ちにもなってしまうかもしれませんし、なんだか距離を感じてしまう、なんてことになるかも。
間柄が、遠いほど、遠慮ってしやすいものですから、(遠いっていう字が入ってますね)あまり遠慮ばかりする関係性だと、距離もなかなか縮まりませんね。
ここに挙げたのは、比較的わかりやすい「遠慮」です。
遠慮すべき人に対して、しているものだからです。
でも、わかりにくい遠慮があります。
例えば、パートナーに対するものというのは、気がつきにくいものです。
パートナーは、とても親しい人のはずですよね。
「遠慮」というものを積極的にしたほうがいい相手とは、少し違います。
にもかかわらず、小さな遠慮をしていることが、結構あるのです。
相手に対して、
言いたいことを飲み込む。
やりたいことを我慢する。
やりたくないことをする。
これらは、いろんな理由があって、ついしてしまうことです。
日常の中にいつだって転がっているものなんです。
今日は忙しかったな。夕食、外で済ませたいな。
でも、外食ばかりだと飽きるって言ってたから、作ろかな。
休みの日には、どこかへ家族で出かけたいな。
でも、夫は忙しそうだから、休日は休みたいよね。
歌の勉強したいな。歌うの大好きだし。
でも、習い事し始めたら、彼に会う時間が少なくなるよね。
相手に伝える前に、諦めたり、なかったことにしたりして、私の思いを表現しないという「遠慮」。
何か、良くないことが起こりそうだから、止めておこうという心理が働いています。
良くないこととは、こんな感じです。
そんなこと言ったら、気を悪くしないかな。
わがままだって思われちゃうかな。
喧嘩になったら嫌だな。
ちょっと確信があるのです。「聞き入れてもらえないだろう」っていう。
それは、言ってみないとほんとはわからないんです。
でも、前に似たようなことを言ったら、不機嫌にされた、とか、却下された、とか、喧嘩になったなんてことがあると、2度目は言い難くなりますよね。
だって、2度傷つくのは嫌ですものね。
遠慮は、そうやって重ねられていきます。
何度も、言いたいことが出てくるでしょうし、聞き入れて欲しいことも出てきますから。
でも、伝えていなければ、不機嫌になられることもないし、喧嘩になることもないけれど、叶えることは、けしてできないんですよね。
やがて、遠慮が、我慢になるでしょう。
こちらが我慢ばかりしていると、「私ばっかり!」って腹が立ってくるのです。
「どうしてわかってくれないんだろう!」
いつのまにか、相手のことが「私を理解しないひどいヤツ!」みたいな認識になってしまいます。嫌いになっちゃうんですよね。
すると、相手に対して優しくできなくなったり、私が不機嫌な人になってしまったりして、今度は、「私はひどい人だ!」なんてことになってしまいます。
自分のことも嫌いになっちゃうんです。
これでは、パートナーとの関係はぎくしゃくしちゃいますよね。
小さな遠慮に、どうか気がついてください。
そして、どうやって伝えるといいかな。
どうやって私の気持ちをわかってもらえるかな。
ということについて、あれこれ考えてみましょう。
聞いてもらえない前提ではありませんか。
相手が理解しやすいように、言葉と心を尽くして、本当の気持ちを伝えてみてください。
あなたの思いを、あなたが大切にすればするほど、相手も大切にしやすいものですよ。
お役に立てれば嬉しいです。