決められない=この人しかいない?
こんにちは 平です。
彼女は、なに一つ、自分で決めるということができません。
レストランのメニューも自分ではなかなか決められないので、一人で食事に行くことはありません。
食事に行ったときは、一緒に行った人にメニューを決めてもらっていて、彼女のことをよく知る人は、「じゃあ、きょうはこれにしときなさいよ」などと言ってくれます。
が、彼女のことをよく知らない人からは、「そんなこと聞かれても、私にはわからないわよ。自分で決めなさいよ」などと言われてしまいます。
が、彼女には決められないのです。
その性格ゆえに、交友関係が終わってしまうことも少なくありません。「あの娘、めんどくさいよね」ともよく言われます。
その彼女がご相談にみえたわけですが、じつは彼女のようなケースは現在の日本ではめずらしくありません。
過保護に育った場合に多いのですが、子どものころから自分で考えるのではなく、「これにしておきなさい」、「これがあなたのためにいいのよ」などといつもだれかに決められてきたわけです。
自分でしたいことがあって両親に伝えたとしても、「それはあなたのためにならない」、「そちらよりこちらのほうがいいのよ」、「パパやママに任せて」と言われてしまいます。
その結果、自分の選択にはまったく自信がもてなくなったんですね。
そして、「自分が選んだものよりもっといいものがあるのではないか」、「間違った選択をするのではないか」という思いから、決めることができなくなってしまうのです。
自分で決めないということ自体が、ある意味、失敗といえるのですが、とにかく彼女は決めるということが恐くて不安なのです。
この彼女の深層心理を探っていったところ、「いつも心配される私」という思いが出てきました。
日ごろから「おかあさんは、あなたのことをほんとうに心配しているのよ」などと言われているうちにできた自己概念であるようです。
さらに彼女の中には、「なにか大きな失敗をしてしまう未来」というイメージがあり、それを避けるように生きなければならないとも感じていました。
なにも失敗をしたことがないという人間はいないものですが、失敗ということはものすごく痛いダメージなると彼女は考えているようでした。
彼女には、自分で決められないということがいちばん大きな失敗であるという自覚はあまりありませんでした。
が、そんな彼女をめんどくさがって、かまってくれるお友だちもほとんどいなくなったことから、彼女の不安はピークに達していました。
彼女には、まず、「違う選択をしたとしても、それは間違いではなく、別の選択肢が存在しているだけ」ということを理解するよう促しました。
そして、どんなことでも自分で決めていくという訓練を始めたのですが、そんな中、おもしろい傾向が見えてきたのです。
それは、レストランで一度食べておいしかったものは、次回以降もそればかり注文するということです。ほかの人から「これもおいしいわよ」とすすめられても、かたくなに同じものしか注文しないのです。
また、少しして彼女は、知り合いに紹介された男性とつきあうようになったのですが、レストランのメニューと同じように、この人しかないと思うようになりました。
彼のすることなすことのすべてを好きになり、口ぐせのように「だって、彼がこれがいいっていうんだもの」と言っています。
とりあえず、相談にみえた頃に抱えていた不安感はなくなり、彼女はいまこの不思議なバランスの中で落ち着いた毎日を送っています。
いわば、決められなかった彼女が、決められるようになったときにハマッたパターンがそれだったわけです。
果たしてこれがうまくいくのかどうかは、もうしばらく検証が必要といえそうです。
では、来週の『恋愛心理学』もお楽しみに!!