“淋しい”という自分への罰?
こんにちは 平です。
“投影の法則”というのですが、私たちは自分の判断基準で人のことも判断しがちです。つまり、私たちが他人を見て思うことは、じつは自分自身について思っていることと同じである場合が多いのです。
たとえば、いま、あなたは太った人を見て、「なんだ、あいつ、体重管理もできないだらしないやつなのか」と思ったとします。
あなたはいまは引き締まった体型をしているかもしれませんが、万が一、太り出したりしたら、いま、人に対して思ったのと同じように、世界中の人が自分に向かって「体重管理もできないだらしないやつ」と思われると思ってしまうわけです。
すると、いま、あなたはスマートでカッコいい人であったとしても、それを楽しんでいるどころか、世界中の人から脅されるがゆえに維持しているということになってしまいます。
しかも、せっかくスマートでカッコいいのに、ちょっとだけ太っただけでも「なんとだらしないことを自分はしてしまったのだ!」などと自分を責めてしまうことになるわけです。
また、私たちは“補償行為”といわれることもよくしています。たとえば、自分が怠け者であると思えば思うほど、「働かなければならない」という気持ちも強まります。
まわりの人はあなたのことを「なんという働き者だろう」と言うことでしょう。しかし、どれだけ評価されても、あなたの手に入るのは「上手にごまかすことができた。ほんとうのおれは怠け者なのに‥‥」という感覚だけとなってしまいます。
昔、ある男性が私どものセミナーにやってきました。彼は非常に働き者だったのですが、自分の心の中に深く入っていったところ、どうしようもない淋しさがあることがわかりました。
彼はそれに触れないために、平日は「残業、残業!」と自分を忙しくし、休日も友人たちとの約束をたくさん入れ、一人になる時間を作らないようにしてきたことに気づいたのです。
しかし、気づいたところで、その生き方をやめるというのは、すなわち淋しさを感じながら暮らすということです。それはもちろん、彼にとってとてもいやなことでした。
「いったい、おれはどうすればいいの?」と言う彼に私はこう言いました。
「なんできみは、こんなに“淋しい”という罰を自分に与えつづけなければいけないの?」
「え? ‥‥よくわかりません」
「ではね、逆にきみはだれを淋しがらせているんだろう?」
「うーん、実家の両親かなぁ‥‥。もう5年ほど、実家には帰ってないから‥‥」
彼の実家はかなりの田舎で、彼の目から見た両親は苦労ばかりでさほど幸せそうではありませんでした。で、「あんな人生だけは送りたくない」といつも彼は思っていたのです。
その一方、自分は都会に出てきて、おもしろおかしく生きていることに罪悪感のようなものも感じているようでした。つまり、「両親は田舎であまり楽しく生きていないのに、自分ばかりこんなに楽しく生きていて申しわけない」というような感覚があったのですね。
しかし、彼に「ほんとうにご両親はそう思っていると思う?」と聞いてみたところ。「いや、そうは思ってはいないと思う」と彼は答えてくれました。
実際、息子が大都会でイキイキと楽しく生き、自分たちのような苦労をしていないとするならば、それは両親にとっては大きな喜びであることでしょう。
でも、彼は自分がまるで両親を見捨て、田舎に放りっぱなしにしているように感じていたのです。自分が毎日が充実していればいるほど、その罪悪感は募っていきました。
そして、「自分は両親を幸せにしていない」と自分を責め、「だから、両親を淋しがらせている自分は同じぐらい淋しい思いをしなければならない」と彼は心のどこかで思っているわけです。
私は彼に言いました。「久しぶりに実家に帰り、両親を喜ばせてあげなさい。あなたがイキイキと生きている姿を見せることで、両親を喜ばせることができたら、あなたを悩ませる一連のこともすべて解決しますよ」
その後、彼は5年ぶりに実家に帰りました。そして思ったのは、早く嫁をもらい、両親に孫を抱かせてあげたいということだったそうです。
では、来週の『恋愛心理学』もお楽しみに!!