「あのような人には、なりたくない」と強く思うと、私たちは「あのような人」が持っている要素を、自分が持つことを禁止してしまいます。
そうして、「あのような人」とは、真逆になろうとしてしまいます。
それで、うまくいっているのならいいのですが、その要素を禁止してしまったために、うまくいかないことがあるのなら、改めてその禁止してしまった「要素」を受け入れていくことが、必要になってきます。
また、私たちは良いことをやっていても、それが「役割」になっていると、疲れ果ててしまいますので、行動の動機を見直していく必要もあるのです。
◎リクエストを頂きました◎
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私は2年前に離婚し、別の男性と同棲しましたが、元旦那と全くタイプの違う男性だったのに、2人とも子供かえりをしたかのようになってしまいました。
私は妻ではなく『母親』の役割となってしまい、それが負担になって別れました。
私の母親が尽くし過ぎるタイプかと思いきや、プライドが高く、意識的にやっているかどうかわかりませんが、自分の思い通りにならないと気が済まないような支配的な共依存関係の家族でしたので、私自身はそうなりたくないと思いつつ、無意識にそうしているのでしょうか?単に私は結婚に向いていないのでしょうか?
(一部、頂いた内容を編集させていただきました)
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リクエストありがとうございます。
今回、担当させていただく大門昌代です。どうぞ、よろしくお願いします。
一概には言えないのですが、私たちは、「あのような人には、なりたくない」と思うと、「あのような人」が持っていた要素を嫌い、正反対になろうとしてしまうことがあります。
何らかの事情で、自分が持つことを嫌ってしまった要素というのが、私達には結構たくさんあるものです。
怒りをまき散らす人が周りにいて、とても嫌な思いをしたという人は、自分自身が怒りを持つことを禁止することがあります。
なかなか決断できないという経験をしたことによって、誰かにひどく怒られたり、否定された経験がある人は、自分自身に優柔不断という要素を禁止してしまうこともあります。
他にも、自分を優先する人によって、つらい思いをした経験がある人は、自分自身に対して、自分を優先するという要素を禁止してしまいます。
そうやって、禁止することによって、「あのような人」にならないように、真逆の人間になろうとするのです。
リクエストいただいた方の場合ですと、お母さんが、自分の想い通りにならないと気が済まないという支配的な部分を、持っていたようですので、「あのような人には、なりたくない」と、自分の思いを優先することを、禁止するようになったのかもしれません。
そうすると、自分を優先せずに、近くにいる人を優先させようとします。
その結果、相手がまるで子供のようになってしまい、常に優先してほしいとなってしまうことがあるのです。
それはまるで、母親に対して子どもが、「ボクを優先して!」「ボクを大切にして!」とやっているようになるのです。
それが、リクエストしてくださった方がおっしゃる「子供かえり」なのかもしれませんね。
相手が子供になるわけですから、自分は母親のような役割になってしまいます。
反対にいうと、自分が母親の役割をしてしまうから、相手が子供になってしまうとも言えますね。
そこには、「あのような人にはなりたくない」というお母さんへ対する気持ちが、大きく影響しちるかもしれません。
お母さんのように、なる必要はないのですが、お母さんが持っていた自分を優先する、自分を大切にするという要素は、私達にとって大切なものでもあります。
自分を大切にしないでいると、犠牲的な生き方になってしまいますし、そのようにすることによって、周りにいる人を、わがままにさせてしまうこともあるのです。
母親と子供の関係では、対等なパートナーとしてうまくはいきませんよね。
ですから、リクエストしてくださった方の場合ですと、彼や元の旦那さまとも、うまくいかなくなってしまったのかもしれませんね。
でも、結婚に向いていないという訳ではないのです。
「あのようには、なりたくない」と思った、お母さんが持っていた要素。
自分を優先するということ、これは自分を大切にするということでもあります。
その要素を、自分が手に入れていくことがカギになります。
お母さんがとっておられた支配的な態度は、子供にとって嫌なものだったかもしれません。
良いものではなかったのかもしれません。
でも、お母さんを嫌うあまり、自分を大切にするという要素まで、嫌ってしまったところが、おありなのかもしれないのです。
どちらかが支配的になってしまうと、これもまた対等な関係性を築けなくなります。
私達は、大人になれば、対等な関係性を持ちたいと思います。
それがパートナーシップです。
お互いが、パートナーを支配するのではなく、また、従順に従うのでもなく、一人の人間として大切に扱う。
そして、自分自身のことも、大切に扱う。
それができるようになることが、必要となってきます。
また、「役割」というのは、私達を疲れさせてしまいます。
大切な人を「良い気分にしてあげたい」、私が「良い気分になりたい」だから、何かをするというのは、役割ではないのですが、「お母さんの役割だから」「女性とは、そうするものだから」などのように、「~だから」という役割にはまってしまうと、やっていることがいくら素晴らしくても、やっている本人は、疲れ果ててしまいます。
ですから、役割でやるのではなく、「自分自身がやりたいかどうか」を基準に行動すると、同じように相手にやさしくしたとしても、疲れなくなります。
これもやはり、「自分を大切にする」ということの一つになるかと思いますね。
(完)