美しいものって、世界にはたくさんありますよね。
みなさんは、どんなものが「美しい」と感じられるでしょうか。
夕焼けだったり、
紅葉だったり
海や山、川・・
自然の中には、美しいものがたくさんあります。
抜けるように晴れ渡る青空も
一面の雪景色も
雨が上がった後の虹も
美しいものですよね。
自然の中にある美しさの他にも、宝石や絵画などの美しさもあります。
いろいろな色合いのものもあれば、輝きが美しいものもあります。
造形が美しいものもたくさんあるでしょう。
私は、最近、「鉄塔」が美しくみえて、カメラに収めて回りたいなと思っているほどですが、美しいと感じるものは、人それぞれきっと違うと思います。
これはたぶん、「美しさ」のポイントをどこに置いているかによるものではないかと思います。
例えば、夕焼けを美しいと感じる時、
太陽が茜色になり、辺りもだんだん赤くなってくる。
やがて、太陽が山の向こう側へ、少しずつ少しずつ隠れていくのを、1日の終わりを感じつつ、少し寂しいような、早く家に帰りたいような気持ちになった夕焼け。あたたかな夕餉が待っている家を思う夕焼け。
「夕焼け」の中に、私たちそれぞれが、何を見るのかによって、「夕焼け」は、同じだけれど、全く違うものになるでしょう。
そんないろいろなものに映る「美しさ」について、お話しさせていただこうと思います。
お付き合いいただけたらと思います。
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私たちの心の中には、「愛」や「喜び」というジャンルのものもあれば、「怖れ」や「不安」「痛み」といったネガティブなジャンルのものもあります。
どんな人でも、この両方を行ったり来たりしています。
日毎だったり、一瞬一瞬でも、変化しているといってもいいかもしれません。
私たちは、「今」を生きることが非常に苦手な生き物だと言われています。
それは、どういうことかというと、こんな感じです。
「わあ、きれいなお花!」
「いつ誰が活けてくれたのかしら」
「こんなふうに気が利く人、ほんと素敵だなぁ」
「私には、なかなかできない苦手なことだ。」
「そういえば、あの時も叱られたっけ。」
「明日は、私がやったほうがいいのかな、どうしよう」
「わあ、きれいなお花!」
のところ辺りしか、私たちは「今」にいないのがおわかりでしょうか。
私たちはつい、過去を悔やんでみたり、未来を憂いてみたりするのを、なかなか止められません。
そうやろうと思うわけではないけれど、無意識に、「今」の前後、未来と過去を行ったり来たりしていることがほとんどなのです。
そんな私たちが、「今」を生きるためには、「今」という一瞬一瞬を、ちゃんと掴まえて感じることが必要です。意識することが必要なんですね。
景色や、物を美しいと思うのも、しっかりと「美しさ」を味わうのも、一瞬一瞬の「今」を掴まえるということなんですよね。
さて、今日、是非お話ししたいと思ったのは、私たちの心の中の「愛」や「喜び」こそが、「美しい景色」だということなんです。
「愛」とか「喜び」というのは、それそのものは、目に見えるわけではありません。
でも、誰かと誰かの間に行き交うことで、目に見えるようになります。
例えば、困っている誰かを、誰かが心配してあげたり、応援したり、助けてあげていたりする時、私たちは、誰かの中の「愛」を見ることができます。こちらの心にも、あたたかいものが流れ込んでくるのが感じられるでしょう。
誰かから、誰かに向けられた「愛」こそが、私がお話ししたかった「美しい景色」なのです。
その景色を見ると、私たちの中の「愛」が反応し、一緒に応援したり、実際に手を貸したりできるかもしれません。
誰かに優しくできる自分を感じる時、私たちは、自分のことを良いものだと感じることができます。
「愛」が共鳴しあうという感じでしょうか。伝染し拡大していくのですね。
目の前の「今」を生きることも、自分の中の「愛」を見ることも、なかなか難しいものです。
でも、「今」という一瞬一瞬は、まちがいなくここにあり、「愛」は、私たちの心の一番下に、湖の水ように、たっぷりと存在しているものなんです。あるから反応するんです。
誰かの優しさや思いやりによって、あなたの心の中の、湖の水がゆらゆらと揺れるんですね。
ほわっと心があたたかくなる時、実は、あなたはご自分の中の「愛」をも感じているんです。
ひとりでない、誰かとの間で、それはより感じやすくなります。
2020年も、たくさんの「美しい景色」を見たいですね。
みなさんの心の中にある湖が、「つながり」の中でたくさんの人の「愛」を映していく美しい世界です。
もし、うまくいかないことがあっても、私たちには、それを乗り越える力があります。
誰かとの間に、つながりの中に、抜け道が必ずあります。
一瞬一瞬を味わい、喜びとともに、この一年を過ごしていきましょう。
今年も、ご一緒に進んでまいりましょう。