私は今、2人の子どもをもつ母親なのですが、まさか自分がこのような人生を歩むなんて望んでもいませんでしたし、想像もしていませんでした。
ある意味望み通りの人生を歩いていないわけなんですけれども、今の私は、子どもをもつことが出来て幸運だったな、と感じています。
幸せも感じています。
そんなお話をしてみたいと思います。
私は今年で結婚23年目、15才の長男と12才の長女がいます。
結婚23年で上の子が15才ということは、8年間、夫婦2人だけの生活を送っていたわけですが、8年間子どもがいなかった理由は、私が子どもをもつことを決められなかったから、なんですね。
最初の3年間は、2人の生活を楽しもうね、という感じで良かったのですが、4年を過ぎた辺りから夫には、そろそろ子どもが欲しい、と言われるようになりました。
私はそれを言われるたびに、「そうだね。とりあえず30才まではこのままでいたいかな。」と言って胡麻化し、次の時には「31才までは」「あと1年待って・・・」と、先延ばし作戦でのらりくらりとかわしていたんですね。
子どものことを言われると、私の心の中はこんな風に感じていました。
『子どもを産んで育てるなんて自信がない。自分自身が子どもなのに、育てられるわけがない。』
子どもを立派に育てることが出来るくらいの、心身ともに成熟した、立派な大人になってからじゃないと、子どもを産んで育てるなんて言ってはいけないんだわ、と、本気で考えておりました。
このような考え方になったのには理由があって、母親に対してものすごく沢山の【文句】があったからなんです。
私から見た母親像というのは、
【感情的で、気分次第で子どもを振り回し、いつも自分が正しいと思っていて、それに従わないとあからさまに不機嫌になって【無視】という形で攻撃してくる、とても迷惑な人。】
であったので、あんな母親にだけは絶対になるものか!と心に誓っていたんです。
ですから、母親になるためには、感情に振り回されない冷静沈着な大人でないといけないし、自分の意見と周りの意見を公平にジャッジ出来る大人でないといけないし、不機嫌になって無口になってもいけないし、迷惑をかけない大人でなければならない、と思っていたわけです。
母親になるための資格試験があって、それを突破しないと子どもをもつ資格を得られませんよ!という、わけの分からない厳しいルールが存在していたんですね。
これは心の勉強をした今だから分かることであって、当時の私はなぜ子どもが欲しいと思えないのか、自信が持てないのか、全然分からなくて苦しんでいました。
苦しんでいた、ということは、結婚したのだから子どもは生むべきだ、と思っていたのかもしれません。
子どもを授かる上での身体的な問題がないのにも関わらず、子どもが欲しいと思えないのはワガママなのではないか、と感じてもいましたし、夫の望みを叶えてあげようとしない自分にも、どこかで申し訳なさを感じていて、自分を責めていたのだと思います。
それに加えて、年々親や親せきからの「子どもはいつ?つくらないの?」という言葉からプレッシャーを感じ、しかし、どうしても子どもをもつことに自信がない、という気持に嘘もつけず、葛藤が続いていきました。
そんなある日、夫から「今年中に子どもをつくるかどうか決めないなら、俺は一生子どもは要らないから。」という爆弾を投下され、いよいよ決めないといけないな、というところに追い込まれた結果、子どもをもとう、という決断に至りました。
今考えても、夫からキツめの宣告をされなかったら、いつまでもうだうだ言っていた可能性は高ったように思います。
当時はかなり渋々、子どもをつくることを決めましたし、決めた後も、恐る恐る前に進んでいたように記憶しています。
それから順調に妊娠、出産をしたのですが、ちょっと思い出してくださいね。
私の訳の分からない『母親になるための厳しい資格試験』というマイルールがありましたよね?
子育てを始めた私に、その厳しいマイルールが重くのしかかってきたんです。
思ったように母乳が出ない。
私も赤ちゃんも授乳が下手くそなので、上手に母乳を飲んでくれない。
赤ちゃんの体重が増えないので親や保健師さんに注意される。
これがまず大きな第一関門でした。
子どもを産んだら自然に母乳って出るものだ、と思っていたのに、全然うまくいかないのです。
周りからはミルクをあげなさい、と言われる。
でも母乳で育てたいから頑張る。
不安で一杯だったのですが、本やネットの情報を読み漁り、誰にも相談できずに一人で頑張っていたんです。
それは、迷惑をかけてはいけないという、厳しいマイルールがあったから。
もともと不安や心配事があっても平気な『フリ』をするのが得意だったのもあって、私が当時追い込まれていたことは周りからはほとんど分からなかったと思います。
私は「誰も助けてくれない。」と孤独な育児をしていましたが、当然ですよね。
不安で心配で孤独で、追い込まれていることが分からないのですから、周りの人は助けようがなかったのです。
しかしいよいよ追い詰められた私は、母乳が出るようになると書かれた書籍に出会い、そこに書いてあった乳房マッサージの施設に行ってみることにしました。
そこはアパートの一室にあって、入ってみると何人か先に、マッサージを受けに来ている女性がいました。
そして施術をしてくれる年配の女性が、笑顔で迎えてくれました。
その女性は割烹着を着ていて、とても親しみやすい雰囲気を醸し出している人でした。
ひと通り自分と子どもの授乳状況、悩みを話し、いくつか敷かれている布団に横になるよう指示され寝ていると、その女性は私の乳房を触診した後、こんなことを言いました。
「あなたのおっぱいは、何の問題もないわよ。すぐにビックリするくらい出るようになるから。あとね、赤ちゃんね、確かに体重は少なめだけど、良く見て。とってもご機嫌でいるでしょ?これが元気な証拠。本当に栄養が足りなかったら、こんなにご機嫌でいないから。大丈夫よ。お母さん、一生懸命頑張ったのね。あとは赤ちゃんが欲しがったら、どんどん授乳してあげれば良いからね。」
その一言一言が胸にしみ込んでくるようで、私は話を聞きながら泣きそうになっていました。
こんなに自分は不安と戦っていたんだ、ちゃんと育てることが出来ていないのではないか?!と、怖くて仕方がなかったんだ、ということに初めて気付いたのです。
そして、大丈夫、という言葉がどれだけ人を救うことが出来るのか、ということも噛みしめながら、マッサージを受けました。
その女性の宣言通り、マッサージを受ける度に母乳の量が増えていって、数回受けた後は生産されすぎて困るくらいになっていきました。
それから15年。息子はあっという間に私の身長を追い越し、良く食べ、よく遊び、よく寝る子どもになりました。
私は2人の子育てをしてきたわけですが、その間『母親としてのマイルール』はちょっとずつ、確実に変化していきました。
それは、変化しないとやっていけなかった、ということもありましたし、厳しすぎるマイルールは必要ないよね、と手放していった、ということもあったと思います。
実際に母親になってみて分かったことは、
【私だけが頑張って育てる必要はない。】ということ。
そして、【子どもが私を育ててくれる。】ということでした。
保育園の先生、近所の人、スーパーの店員さん、小学校の先生、習い事でお世話になった先生方、かかりつけの小児科医・・・
挙げたらきりがないくらい、子どもを愛してくれた人たちがいます。
そして子どもは、私に日々、様々なことを教えてくれて、助けてくれてます。
疲れている私の肩をもみながら、「いつもお疲れさま。たまにはご飯、ほか弁でいいよ」と言ってくれたり、
子どもに添い寝をしながら、夫とケンカをしたことを思い出して泣いていたら、「大丈夫。オレがついてるからな」と励ましてくれたり、
私自身が自分を愛することが苦手だった分、いつも素直に私を愛してくれたのが子供たちでした。
最近は思春期になり、以前より素直な形で愛を表現することは減りましたが、つい最近嬉しいことがありました。
何の気なしに雑談をしていたら息子から、
「これだけ言いたいことが言えるのは、(お母さんを)信頼しているからだよ。」
と言われたことでした。
あまりに唐突で、嬉しいけど恥ずかしすぎて、笑ってごまかしてしまいましたが、母親になるのも悪くないなと、大きなプレゼントをもらったような幸せな気持ちになりました。
人は、思ったように人生を選びたいし、望んだ道に進みたいと思うものです。
しかし、いくら頑張っても上手くいかない場合もあるし、逆に、望んでいないのにとんとん拍子に進む場合もあったりしますよね。
人間ひとりの力はちっぽけで、無力だったりもしますけれども、なぜか導かれるように物事が進んでいくなぁ、とか、考えもしなかったけれどみんなから後押しされてるなぁ、とか、目に見えない不思議な【流れ】がやってきたら、それに乗ってみると、想像もつかなかった世界に連れて行ってくれることがあるんじゃないかな?と思うのです。
子どもがいる人生は、私が想像もしていなかった世界に連れて行ってくれました。
子どもがいない人生は経験していないので今世では分からないのですが、どちらも貴重な体験をさせてくれるものであることに違いありません。
どちらにしても進んだからには、目の前のことに一生懸命、誠実に取り組むこと。その先に答えが待っているのかな、と思う今日この頃のわたしです。