あなたの可能性を見せてくれる「シャドウ」
ブレイクスルーを探しているときというのは、私たちがこれまでのやり方では行き詰っているときです。「シャドウ」は、そんな私たちが自分に制限をかけているところを見せてくれます。次のステージに行くための突破口を探しているのなら、「嫌い」から目をそむけないこと。次の扉を開ける鍵は「シャドウ」が持っています。
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「シャドウ」はどうしても愛せないあなたの天敵
「もう口もききたくない!」。
「どうしていつも最悪のタイミングで、聞きたくないことを言うのだろう、この人は!」。
「なんだかわからないけれど、あの人は苦手。近寄れないんだ」。
あなたには、そう思ってしまう人が何人くらいいますか?
誰しも、苦手な人はいます。嫌いな人がいなければ、どれだけ心が平和だろうと思うけれど、やっぱり近寄りやすい人も近寄りにくい人もいますね。
この、人間関係の「近寄りやすい」とか「近寄りにくい」はどうしてできるのでしょうか。嫌いな人のいないところでは、私たちは楽しく幸せでいられます。どうやら私たちは周りの人を愛せると幸せですが、愛せないと、とたんに怒りや寂しさ、不安や恐れを感じるようです。「近寄りやすい」人というのは、あなたが安心して愛しやすいタイプの人で、「近寄りにくい」人とは、あなたが愛しにくいか、大好きだけれどもなぜだか「恐い」と感じてしまうタイプの人です。
心理学では、この「近寄りにくい」人のことを「シャドウ」(心の影)と呼びます。
不思議なもので、お父さんが怒りっぽくて怖かったから、絶対に怒らない優しい人と結婚したいと思い、そういう人を見つけたと思ったのに、いざ結婚してみたら、優しいはずの彼が次第に怒りっぽい人になってきた、という話を聞きます。
何度転職を繰り返しても、同じ部署に、うんざりするほど詮索好きなお局様がいて、聞かれたく無いプライベートなことを根掘り葉掘り聞き出そうとする、ということもあります。
どこに行っても、周りに愛しにくいタイプがいて、「天敵!」と叫びたくなる人に付きまとわれて辟易している方もいらっしゃるでしょう。残念なお知らせですが、場を変えても、同じタイプの「愛せない」人と関係性を持たなければならないとしたら、その人は、あなたの中の、あなたが愛しにくいと感じている自分自身を相手に映し出した、「シャドウ」です。
私たちは、自分の心の中にあるものを、まるで映写機でスクリーンに映し出すように、外側の世界に映し出して、それを見ては、「いい」、「悪い」、「好き」、「嫌い」と判断しては、近づいてみたり、距離をとるようなことをします。
「あんな風にだけは、なりたくないわ!」とあなたが思うとき、自分でも気づかないところでやっているか、「やるまい」と意を決して正反対の自分になろうとするかのどちらかになります(これを補償行為と言います。)。
逆に、あまりに「立派な人」に対しては、「あの人だからできるけれど、私には無理!」と、相手を自分とは全くかけ離れた存在であるかのように切り離して、自分がそんな「立派な人」になるための努力をしないことを正当化しようとします。(これを権威との葛藤と言います。)。
「近寄りにくい」人には、尊敬しすぎていて畏れを感じてつい遠慮してしまう人から、どうしても許せない天敵のような人までいます。総じて、次の4つのタイプに分類できます。1)自分と正反対のタイプ、2)自分とよく似たタイプ、3)自分の家族など身近な人とよく似たタイプ、そして4)これまでまったく出会ったことがないタイプの人です。
どうも、私たちは、自分ととても近しい人か、自分とかなり遠い人のことを、よくも悪くも脅威に感じて近寄りがたく思うようなのです。
愛せないには愛せない「理由」がある
「シャドウ」は、そんな近寄りにくい、「愛しにくい」人を指しますが、愛せないには、愛せない理由があります。
例えば、あなたのお母さんがちょっと奔放な、セクシーマダムだったとします。タンクトップにミニスカート、ヒールの高いサンダルで、近所のお買い物に行くタイプで、父兄参観で学校に来ると、夕食の話題は、クラスのどの男の子が可愛かったか、「あなたはどの子が好きなの?」と詰め寄られて、恥ずかしすぎて家出したくなる小学校、中学校時代を過ごしました。
あなたは、おそらくおとなしめな服しか選ばず、髪をひっつめにして身だしなみに気をつけ、なるべく目立たないように振る舞い、同じ年頃の男性に興味はあっても、ありそうなそぶりは一切見せない、超、超、真面目な文学少女タイプになるのではないでしょうか?
お母さんを「恥ずかしい」ものと思った度合いだけ、あなたはセクシーな人やモノに「近寄りにくい」と感じますから、学校でも、セクシー系の同級生や先輩、先生とは距離を取りたくなるでしょう。なんなら、「はしたないわよねー」と陰口の一つもこぼしたくなるかもしれませんね。
セクシーな人に近づくたびに、あの超、超、恥ずかしかった少女時代が思い出されて、逃げ出したくなるのです。私たちが誰か、や、何かを「嫌う」ときというのは、その人やモノ、場所が「嫌い」というよりは、そこで感じる感情が、イヤ、なのです。いやーな感情が上がってくると、反射的に怒って、逃げ出したくなるのです。
でも、この昔の痛みを感じないように、セクシーな気持ちから逃げてばかりいたとしたら、どうなるでしょう?
結婚適齢期になっても、自分の美しさをアピールできず、恥ずかしすぎて好きな男性ができたとしても近づけないかもしれません。素敵な女性であるにもかかわらず、こと恋愛においては奥手で苦手意識を払拭できない可能性があります。
そんな「自分」にがっかりしちゃうと、今度は自分と似たタイプの人にも嫌悪感を抱くかもしれません。セクシーな人は近づけないし、怖い。自分のようなおとなしめなタイプは嫌い。もちろん、お母さんを思わせるような人は、痛みの根源だから愛しにくい、ときたら、世の中で安心して「好き」と思える人の数がぐっと減りそうです。自然と行動半径が狭くなりますし、とにかく楽しくない!
あなたが、もし、対人関係で悩んでいらして、周りの人を好きになれなくて生きづらいと感じているとしたら、周りの人たちに「シャドウ」を見ているのかもしれません。その人たちは、どんな「シャドウ」ですか?なぜ、そういうタイプが嫌いなのでしょう?過去に、嫌いになるような出来事がありましたか?そのとき、あなたはどんな気持ちだったのでしょう?そして、どういう風に助けて欲しいと思っていたのでしょう?
愛せないなら、愛せない理由があります。そこには、ハートの痛みがあります。まずは、その、傷ついたハートを抱きしめてくださいね。
あなたの可能性の扉を開ける「鍵」は「シャドウ」が持っている?!
上の例で見ても、この女性が、もし恋愛を楽しみ、パートナーシップのある人生が欲しいと思ったとすれば、彼女のブレイクスルーの「鍵」は、「シャドウ」である「お母さん」が握っています。
お母さんの、一人の大人の女性としての奔放さや、セクシーさは、少女時代には恥ずかしいし、脅威ですらあったかもしれませんが、「怖かった」、「寂しかった」、「悲しかった」、「恥ずかしかった」という痛みの感情をリリースして、セクシャリティ溢れる女性としての情の深さを受け入れることができると、自分もセクシャルな魅力を発揮することができます。
自分が自分に禁止していた魅力を解き放つことができるのです。恋愛に対しても、もうちょっと積極的になれそうですね。
ブレイクスルーを探しているときというのは、私たちがこれまでのやり方では行き詰っているときです。「シャドウ」は、そんな私たちが自分に制限をかけているところを見せてくれます。次のステージに行くための突破口を探しているのなら、「嫌い」から目をそむけないこと。あなたがずっと前に捨てた自分の「あり方」の中に、次の扉を開ける鍵があるものです。
>>>『ブレイクスルー(突破口)はどこにある?(3)〜「苦手」は「得意」の限界を超える道案内役〜』へ続く