被害者意識と加害者意識 〜「誰かのせい」と「自分が悪い」の関係性〜

「誰かのせい」という意識は「自分が悪い ?」という投影を生む

私達は何かしらの事情で被害者になる可能性があります。
ただ、被害者であっても被害者意識だけを強めている人と、そうではない人がいます。
何事もすべて人の責任だと感じていることにはデメリットも多く、自分らしくいられないという問題も起こります。
そこで今回は被害者意識と加害者意識について解説していきます。

○被害者意識について

「被害者意識」とは、自分は害をこうむった側である、自分は他人から同情や償いを受けて当然である、といった感覚などを指す言葉です。

私達が生きていれば誰しも被害者になる可能性はありますよね。

ただ、「被害者意識」については、これを持ちやすい人とそうでない人がいます。

全て誰かのせい、という形の被害者意識を持ちやすい人は、自分は今までの人生で損ばかりしてきた、大切に扱ってもらえなかった、と感じている人が多く、これ以上自分だけ損をしたくない、不利益を被りたくないという思いが強まっている可能性があります。

もちろんそのような心情も理解されるべきことと私は考えますが、一方で被害者意識を持ちやすい状態であると、自分自身に様々なデメリットが生じる可能性があります。

それゆえに生きにくさを感じたり、自分らしさを発揮できないという問題につながっているケースも少なくないのです。

 

○「相手が悪い」という思いは「自分が悪い」という投影を生む

確かに自分に不利益が伴う出来事が起きれば、気分は良くないですし、文句の一つも言いたくなることがあるかと思います。

ただ、どんなできごとも、そのできごとを検証することなく、まるっきり自分以外の誰かのせいにしてしまうと、被害者意識とそれが生む「投影」によって、自分自身が制限を感じることがあります。

例えば、パートナーから別れを告げられて「あなたのせいでこんなにも私は傷ついた」と伝えた人がいるとしましょう。私は全く悪くないのに、というニュアンスで。

このとき、自分は全く悪くないのに、とてもつらい出来事が起きた、全て相手のせいだと考えることで、少し傷ついた気持ちが和らぐような感じがするかもしれません。

それぐらい、つらい気持ちがそこにあり、癒やすべき感情がある、と考えることもできます。

ただ、自分が相手に全く理解も愛情も示さず、一方的に責める気持ちを持っていると、今度自分が加害者側に回ったときに、強い恐れと罪悪感を感じることになるのです。

心理学では、人は自分の感情を相手や物事に映し出す「投影」の世界で生きている、と考えられています。

もし、一方的に自分が被害者意識を強め、相手を責めていると、今度自分が何かしらのミスや、相手に不利益を与えるような出来事が起きたとき「全て自分が悪いのではないか」「今、自分が加害者を責めているように、今度は私が相手にこっぴどく責められるのではないか」「自分がミスや間違いを犯したら、誰も私を助けてくれないのではないか」と感じやすくなる可能性があるわけです。

こうなるとなかなか人を信頼できなかったり、心を許せず打ち解けられなかったり、自立が強まって苦しい生き方を選ばざるを得なくなることもあります。

また、人は他者に何かしらの攻撃性を持つと、もれなく罪悪感「自分は罰せられる」と感じやすくなりますから、自分の投影の世界の中で「自分だけ罰される」という感覚を感じやすくなり、怖ろしいわけです。

そこで感じる怖れから自分を守るために被害者意識を持ちやすくなる、といったケースもあります。

だから、つい人と距離を置かざるを得なくなったり、自分が責任ある立場に就くことを極端に恐れたり、自分自身に完璧を求め、ミスをしない(リスクをとったりや挑戦をしない)生き方を選び、それが次第に自分自身の生き方の制限になってしまうわけです。

自分自身が望む、自分らしい生き方、人とのつながり、仕事や収入、成功やステータスなどを手に入れようと思っても、自分自身の感情が生み出す投影が恐れや罪悪感を刺激し、自分らしく生きることに困難さを感じるようになることも起こり得るわけですね。

 

○被害者意識は加害者意識(罪悪感)を隠すもの

さて、この「被害者意識」は、自分の中にある「加害者意識(罪悪感・無価値感)」を隠すものとして作用することが多い、と考えることができます。

被害者意識のあるところには、多く「自分は誰かを大切にできなかった、喜ばせることができなかった」「むしろ邪魔になっていたり、相手の負担になっているのではないか」という加害者意識(罪悪感・無価値感)が存在することが多いのです。

先に書いた失恋の例であれば、「自分がもっと魅力的で相手を喜ばせていれば、別れることはなかったのかもしれない」と、自分を責める気持ちが隠れている場合も少なくないのです。

また他の事例で言えば、自分に全くミスした覚えがないにもかかわらず不運なできごとに出会うことがありますが、このとき「自分に非がないのに不運なできごとと出会うこと」がものすごく怖い、と感じています。いわばどうしようもない、手の施しようがないこと、ですから。

このとき、自分の身に起きた不運なできごとに何かしらの意味付けをしないと気持ちが落ち着かないのです。そのとき、「〇〇のせいだ」といった被害者意識を持つことも多いのですが、その根っこで「自分ってこんなに不運な目に合うほどちっぽけで誰のお役にも立てないんだ」と感じている場合がとても多いのです。もちろん誤解なんですけども。

このような加害者意識(罪悪感・無価値感)は、そもそも感じていること自体が耐え難い感情です。自分で自分の存在をちっぽけに感じ、意味のないものと感じるわけですから。

そこで、一つの心の防衛(耐え難い感情を感じない方法)として「被害者意識」が登場することがあるわけです。

「いや、自分が悪いわけではない。相手が悪いんだ」と被害者意識を持ち出すことで、自分の気持ちのバランスを取ろうとするわけですね。

しかし、その方法を用いることで先に書いたようなデメリットが出てくるとしたら、もっと自分にメリットを感じられる方法を使ってみてもいいかもしれませんね。

 

○許しを用いた被害者意識を手放すアプローチ

被害者意識を手放していくアプローチの一つに「許し」を用いる方法があります。最後にこの方法について簡単にまとめます。

※このプロセスを行うには「自分の気持ちに素直になる勇気」が必要です。また、事前にある程度の気持ちのコンディションを整えておくほうがいい、ということだけ先にお伝えしておきますね。

○もし、今感じている「被害者意識」のあるところに、自分自身の加害者意識(罪悪感・無価値感)があるとしたら、それはどんな加害者意識があり、本当の自分はどのような自分を表現したかったのか、を強がらず、素直に見つめていきます。

例)

・失恋して「全て相手が悪い」と思うほど、自分は相手のことをどう思っていて、相手をどう扱いたかったのか。

・今の自分になったのはすべて親のせいだ、と思うなら、自分は両親の前でどんな自分でありたかったのか。

・仕事でミスをしたけれど、それはすべて上司や会社のせいだと思うなら、自分は上司や会社にとってどのような存在でありたいと願っているのか。

このように考えていくと、「本当に表現したい自分の思い」が見えてくると思いませんか?

多くの人が、人の負担や迷惑になりたくないし、喜びになりたいと願っているものです。しかしそれがうまくいかなくて自分自身を罰し、それがあまりに苦しくて被害者意識を持つようになったとしたら。

それほどまでに誰かの幸せや喜びになりたいと願っている自分も、自分の内面にいるのではないでしょうか。

その自分を慰めるのではなく、ちゃんと見つけて許すこと、大切に扱っていくことこそ、被害者意識だけでなく、加害者意識をも超えた、無害で愛ある自分と出会う方法といえます。

この状態になると、被害者意識・加害者意識を手放すことができるので、自分自身の投影の世界も変わり、恐れや不安よりも、喜びや人とのつながりを感じて生きていくことが可能になります。

実際のご相談でも「被害者意識を手放したい」というご相談は多いですが、被害者意識を禁止してもなかなか手放せないことも多いようですね。禁止は我慢になり、いつか被害者意識が漏れ出すことも多々あります。

ポイントは「被害者意識」に隠れた「加害者意識」を見つめることで、本当の自分の思いにたどり着ける、ということです。

(完)

この記事を書いたカウンセラー

About Author

年間400件以上の面談カウンセリングを行う実践派。「男女関係向上・男性心理分析」「自信・自己価値向上」に独特の強みをもち、ビジネス・ライフワーク発見なども対応。明快・明晰かつ、ユーモアと温かさを忘れない屈託のないカウンセリングは「一度利用するとクセになる」と評され、お客様の笑顔が絶えない。