「お母さんと仲が良い」と素直に言える人は、一体世の中にどのくらいいらっしゃるでしょう。
素直に「仲が良い」と言える人もいれば、「いまいち…」「仲が悪い」という方もいると思います。
それに、気持ちは変化するものですから、良い・悪いも永遠ではありませんよね。
その時々で変化することもままあります。
私自身はというと、母には文句ばかりの人間でした。
20歳過ぎまで両親と暮らしていた頃の私は、長く専業主婦をしている母には社会性が無いような気がしてそれにイライラしたり、自分の生活ペースと違う母の行動に文句を言ったり、散々な態度を取っていたと思います。
家を出て暮らし始めてからは、何かにつけ干渉してくる母がとても嫌でした。
私はいつしか母を「子供にかかりっきりの寂しい女性」と思うようになっていました。
そして可哀想な女性だと感じる母に対し私は「お母さんはなんて格好悪いんだろう!」と、長い間怒りを持っていました。
さて、心理学では“誰かを責めている時にはその裏側に自分の罪悪感がある”と言われています。
母に対して怒っていた私には、一体どんな罪悪感があったんでしょうか。
私が高校生~20代半ばの頃の出来事です。
母は兄夫婦と暮らしていた実母、実父(私の母方の祖父母)を、順番に介護していました。
先ず祖母を私達が暮らす家に引き取り、在宅介護ののち看取りました。
その数年後には、祖父が過ごす老人ホーム、病院を片道1時間半かけ、週の半分以上は通う日々を何年も続けました。
私は数年前、知人の介護にまつわる話を聞いていた時に気付いたのですが、母が祖父母の介護をしていた当時、私自身は祖父母の介護を手伝えていなかったんです。
そして私の心の奥底には、あの時本当はもっと母を手伝えたハズなのに、という罪悪感があることに気付かされました。
その当時の私は、自分の時間を使って祖父母の介護を手伝うことが、自分の時間を犠牲にするようで嫌だなと感じていた記憶があります。
受験勉強があったり、学業で忙しくしていた頃で、今振り返るとあの頃の自分はまだまだ子供だったなぁと思います。(もちろんこれはこれで、その年頃らしさでもありますね。)
それでも当時の私は、母を手伝ってあげていない自分自身が後ろめたく、何もしていない自分が申し訳ないなと感じていたようです。
そしてこれらの出来事は、思い出したその時まですっかり忘れていたんですね。
私達はこの罪悪感というものを感じないようにするため、自分を責める代わりに相手を攻撃するという手段を取ることが、とてもたくさんあります。
これは、自分の顕在意識でそうしているのではなく、罪悪感を感じるのを回避するために心が無意識に相手に怒りを向けるようなのです。
私の場合は「母が祖父母の介護で大変だった時に手伝わなかった」という罪悪感を感じないようにするため、母を攻撃していたようです。
その罪悪感に気が付いた後、私は母に「昔、お祖母ちゃんとお祖父ちゃんの介護を手伝ってあげなくてごめんね。」と謝ってみました。
母はそんな昔の話??という様子で「車で送ってくれたり、色々してくれてお母さんも助かったよ(※母は運転免許がない)、ありがとうね」と、とても軽やかな返事が返ってきました。
この出来事は、私にとって母との関係が大きく変化するきっかけになりました。
例えば、母が送ってくる大量の野菜や果物。以前は「こんなに沢山食べられない!」とカッカして怒っていたのですが、今は、私を心配しているんだなとか、送るのも楽しいんだろうなとか、そんな風に思う自分がいます。
母を思い遣ることが随分素直に出来るようになりました。
人は罪悪感を感じている相手からの愛は、なかなか受け取れないと言われています。
自分が何もしていない(と感じている)のに相手から受け取る、ということは難しいようなのです。
もし、あなたがお母さんと仲が良いとは素直に言えないなぁ…と感じることがあれば、
「なにか申し訳ないと思っていることがあるかもしれない」
と思ってみると、すっかり忘れている意外な出来事が思い出されるかもしれません。
この方法を試してみる時のポイントは、「あるかもしれない」と思ってみることです。
そして、皆さんに覚えていただきたいことが一つあります。
私達には、愛する人、大事な人、誰かの役に立ちたいという思いがある故に、時にこんなことが起きるんですね。問題あるところには愛あり、です。
過去の記憶が、大切な人との関係を今よりもっと良いものにする助けになるかもしれませんね。