実は無価値感を隠しているのかも?
「忙しい」が口癖になっているとしたら、誰かの役に立てることの嬉しさから、ひょっとしたら自分の無価値感や無力感を「忙しさ」で隠しているかもしれません。大切な人との絆を見直すことで、優先順位がはっきりし、本当にすべきことが明確になります。
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こんにちは。カウンセリングサービスのみずがきひろみです。
緊急事態宣言が降りて、テレワークに切り替えられた人、変わらずに職場に出勤して働き続けている人、そしてライフラインを支えるために、恐い思いをしながら、必死に10倍にも膨れ上がった仕事をこなす人々がいます。医療従事者やライフラインを支えてくれているエッセンシャルワーカーに最大級の敬意と感謝を捧げたいと思います。
その一方で、いつも精力的に動き、働き、常にやるべきことがあり、「忙しい」が口癖のような人にとっても、stay homeが社会貢献ですから、家でじっとしていなくてはならずに退屈を持て余している方もおられるでしょう。せっかくのこの機会に、自分の心とゆっくりと向き合ってみませんか?
今日は、つい「多忙」にしてしまう人の心理を解説します。
● なぜ、そんなに「忙しい」のでしょう?
「何かやって欲しいことがあったら忙しい人に頼むといい」と言います。多忙な人は、「仕事をこなす」リズムで生きているので、一つ余計に「やらなければならないこと」が増えても、チャチャっとやってしまいます。もともと親切な人ですし、自分がやると速いのも知っているし、できるのもわかっているので、すぐに「いいよ。やっておくよ」と請け合うので、気がつくと自分は休むヒマもなく誰かのために何かをしている、なんてことになります。
そうでなくても、すぐ「やった方がいい」ことを思いついてしまいます。好奇心が旺盛でやりたいことも多いですし、人のニーズが見えるから気がついてしまい、生来の行動力で「やってしまう」と、いつの間にか時間があると思ったのになかったとため息をついていませんか?
「忙しい」が口癖になるほど用事に追われては、どうしてこんなに自分ばかり大変なことになっているのだろう、と犠牲感に苛まれ、燃え尽きそうになることも多いのではないでしょうか。
それでも、「自分しかやる人がいないのだから、仕方がない」と頑張ってしまうのではありませんか。
確かに、あなたしかやる人がいないかもしれません。でも、そんな状況に、いつも自分を置いている、なんてことはありませんか。自分が「忙しさ」を買って出ている、ということはないでしょうか。
もしも、場を変えても、なぜかいつも「忙しい」としたら、ひょっとしたら、自分は、無自覚に「忙しい」という行動パターンを選んでいるのかもしれない、と考えてみるのです。
●「忙しい」ことで感じられる感情と隠せる感情がある
私たちは、多くの場合、感情に突き動かされるようにして行動しています。ある行動パターンが繰り返される時も、その心の奥には、その行動パターンを選びたくなる感情が働いています。
それがたとえ辛い状況であったとしても、そこに長く留まるとき、人は、その状況から何らかの感じたい感情があるようなのです。その、得たい感情体験が大事だからこそ、辛いものであっても、なかなかそのパターンから抜け出せないこともあります。
「忙しい」が口癖の人が、「忙しさ」から得ているものの一つに「自尊感情」があります。これは、「私は誰かの役に立っている」という感覚で、「できる」という自信や、自分を「いいものだ」と思う自己肯定感、さらに「自分はここにいてもいい」という安心感を支える礎にもなります。
ところが、この「自尊感情」の拠り所を、自分が「やっていること」に求めすぎると、いつも自分を後回しにし、犠牲的に振る舞うことが習い性になってしまいます。そんな「忙しい」人にかぎって、予定のない、空いた時間を作ったら、「働いていない」罪悪感や、吸い込まれるような無価値感、どうしようもない無力感に襲われることもあります。逆に言えば、「忙しさ」は、そんなネガティブな感情を感じないための防衛だったのかもしれません。
また、「忙しい」を連発していた人が、急に仕事を失い、時間ができたとたんに、全てが面倒くさくなって、縦のものを横にするのも億劫に感じる、という話も聞きます。本当は、のんびり、おっとりな「ナマケモノ」さん、なのに、それではいけないと自分を厳しく管理していたから「忙しい」生活をやめられなかったのかもしれませんね。心理学では、こうした本来の自分とあり方と真反対であろうとする行動を「補償行為」と呼びます。
[h2]●「忙しい」が困った問題かもしれない一番の理由
「忙しい」は、「心が亡くなる」と書きます。これを指摘されたとき、私は、ショートスリーパーになりたいと思うくらいに忙殺されていたので、「自分の心は死んでいるのか?」とショックでした。
時間に追われるように生きていると、常に先に起こることに対処しようと「次」に起こることばかり考えていて、「今」「ここ」で起きていることに意識をなかなか向けられません。
「今」「ここ」で、夕陽がとても美しくても、それを愛でる心のゆとりが持てないことが多いです。同様に、「今」「ここ」で、誰かがあなたのことを思い、差し出してくれた好意を心から味わい喜ぶ、そんな心ののりしろを使い果たしてしまうと、そばにいるあなたを大切に思う人に、とても寂しい思いをさせてしまいます。怖いのは、「忙しい」人は、自分の心がそうなっていることに気づきにくいこと、でしょうか。
「忙しい」人は、社会的には「いい」こともたくさんしているので、「忙しい」ことがもたらす弊害に気づきにくいです。一番大切にしたい人を愛せていないということは、自分自身のことも、本当の意味では愛せていないのかもしれないのに、そのことになかなか気づけないのです。
そして、そのことが一番大切にしたい人との間に絆を持てずにいる原因だとしたら、寂しさを感じないための「忙しい」が寂しさを再生産する悪循環を作り出すことになります。
● もう一度自分の心の願いを聴いてみましょう
あなたは、どうして「忙しい」生き方を選んでいるのでしょうか。違う生き方もできるのに、なぜ、いつも「忙しい」状況や立場を選んでいるのでしょうか。
あなたの「忙しい」は、楽しいことをしている結果としての「忙しい」ですか?それとも、「忙しくする」ための「忙しい」ですか?
「忙しい」ことで、あなたが本当に大切にしたい人たちを大切にできていますか?
自分の「思い込み」よりも、あなたが大切にしたい人たちの顔をもう一度見てみませんか?あなたの幸せは、あなたが大切にしたいと思っている人たちの喜びです。自分さえ我慢すれば、みんなが幸せになるなんて誤解は、そろそろ手放してくださいね。「忙しい」が隠す無価値感や寂しさの向こう側に、ホンモノの絆がくれる幸せがあります。
その幸せを感じながら、再度、時間の使い方を見直してみましょう。時間は命のカケラです。その投資先として、本当にやるべきことが見えてきませんか。
「忙しい」が口癖になっているとしたら、誰かの役に立てることの嬉しさから、ひょっとしたら自分の無価値感や無力感を「忙しさ」で隠しているかもしれません。大切な人との絆を見直すことで、優先順位がはっきりし、本当にすべきことが明確になります。
(完)