こんにちは!
カウンセリングサービスの、高塚早苗です。
私は、お花が大好きです。
昨年から、お花を育ててみようと思い、種から育ててみたんですね。
思いのほか、お花を、育てる事は、楽しくて、今年は、欲張って、沢山の、お花の種を、蒔いてみました。
朝顔・アスター・百日草・矢車草・千日紅・ペチュニアの種など、沢山の、お花の種を、張り切って、蒔いてみました。
すくすく育ってくれるお花もあれば、枯れてしまって、上手く育たないお花もあり、植物を育てる、奥深さを感じたりもしました。
花用のポットに、種を蒔き、ある程度育ったら、地植えをするのですが、この作業が、案外面倒な作業だったりします。
でも、種を蒔き、芽が出た時は、とても嬉しい気持ちになり、私は、この上ない幸せを、感じる事が、沢山出来ます。
花の芽は、本の数ミリ程度ではありますが、生命の息吹を、私は感じます。
数ミリの芽が、やがて双葉になり、手をかけるほど、どんどん育っていく姿は、私の喜びです。
そして、満開になったお花を見ると、花の美しさが、私の心を、満たしてくれ、自然と笑みが出てきたりして、幸せをとても感じます。
近所の、母の友達は、母は、お花だけではなく、野菜作りも、凄く上手だと、私に会うたびに、話してくれます。
今にして思えば、本当に上手に、お花も、野菜も育てていたんだろうなと、思いますが、母は、他界しているので、母から、お花の育て方を、教えて貰えることは、もうありません。
とはいえ、母がまだ生きていたとしたら、私はお花を育てる事を、していたか、甚だ疑問ではあります(笑)
先日、育てた百日草と、アスターを、母方の伯母に、届けようと、思い立った私がいました。
綺麗に、咲いたお花を、伯母に届けたいという、純粋な気持ち、幸せのお裾分けです。
しかしながら、相反する気持ちとして、私の心の中で、もし届けて、『そんなものいらない』と、言われたらどうしようという気持ちが、湧いてきました。
私の中の、悪魔の囁きが、聞こえてきたんですね。。。
悪魔の囁きは、私が作りだしている囁きです。。。
伯母が言っているわけではありません。。。
私の中の悪魔が、私に囁くわけです。。。。
お花を、ハサミで切り、お花を束ねている時は、悪魔の囁きは、少なかったのですが、伯母の家に行くまでの、車中で、沢山の、悪魔の囁きと、私はバトルしていました。
「そんなの貰っても困るよ。。。って言われたらどうしよう。。。」VS「えー伯母さんに渡すんでしょ。。。そんな事、気にしなくてもいいじゃないの?」
相反する思いが、私の心の中で、湧き上がり、バトルしているのです。
今なら、まだ間に合う。。。まだ間に合うよ。。。家に引き返そうか。。。と、伯母の、家まで行く、車中の中、一人で紋々としながら、車のハンドルを、握っていました。
そうこうしているうちに、伯母の家に、着いてしまいました。
もう、引き返すわけに行かないしなと、覚悟を決めて、伯母に育てた花を、渡すと、私の、思い描いた反応よりも、大きな嬉しい伯母の、反応がありました。
「凄い、綺麗な花ね。お仏壇に飾るよ。孫が、持ってきてくれたって、飾るよ」と、伯母が、言ってくれたんですね。
伯母は、私の母の姉で、伯母の家は、母の実家です。
つまり、伯母が、言っていたお仏壇は、私の母方の祖父母や、先祖がいるお仏壇です。
私は、伯母の言葉を聞いて、お花を、届けて良かったなぁと、心から、思いましたし、伯母の言葉に、じわ~んと、私の心は、暖かくなっていました。
伯母は、凄い喜んでくれている、しかも、私が、もっと喜びを、感じられる言葉まで、言ってくれた!
大袈裟ではなく、勇気を持って、自分の、育てたお花を、届けて良かったなぁと、しみじみ思いました。
伯母の、喜ぶ笑顔だけではなく、祖父母の喜ぶ姿が、眼の前に現れてきたようでした。
思いがけない、ご褒美をいただいた気持ちに、私は、なりました。
誰かに【贈り物】をしたいなと、思う時が、あると思います。
旅先でのお土産、自分で育てた野菜、自分で作った料理、いろいろな【贈り物】が、あると思います。
良かれと思って、贈ったものでも、反応が、薄かったりすると、寂しい気持ちになる事が、あるかもしれません。
もしくは、相手にとっては、迷惑な贈り物になってしまい、傷ついた思いになると、贈り物をしたいなと、思う気持ちが、薄れていく、なんて事も、あるかもしれません。
人には、好みもあるし、何が、喜ぶのかわからなくなって、かえって、負担に思う場合も、あるかもしれません。
そのような、傷ついた経験から、もう傷つきたくなと思い、人は、行動を制限してしまいがちです。
行動が、制限される事で、喜びを感じるチャンスも、制限されてしまう事が、多いのではないでしょうか?
『傷つかない一番の方法は、何もしない事」と、言われています。
でも、傷つかない代わりに、喜びもないのではないでしょうか?
『悲しみのない世界には、喜びもない』と、言われています
私は、勇気を持って、伯母に、お花を届けて良かったなぁと、心から思っています。