執着を通して本当に手に入れたいものを知ることができます。
執着している時はしんどいですね。しかし執着を通して本当に求めているものを知ることもできるのです。今回は執着が教えてくれる本質と、手放した後の心の自由がもたらすものについて解説していきたいと思います。
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こんにちは。
カウンセリングサービスの近藤あきとしです。今日の心理学講座は私が担当いたします。
■執着はとても苦しい状態
カウンセリングでは、よく「執着を手放しましょう」という話が出てくることがあります。
執着というのは心が何かに捉われている状態を言います。
「これがなかったら私は幸せになれない」「これを逃したら二度と手に入らない」と思い込んでいて、絶対に離すまいとしがみついている状態なんですね。
執着している対象を求める気持ちが強くなればなるほど、「これが無くなったら私の人生はお終いだ」という怖れに突き動かされてしまいます。
つまり、失うことを怖れるあまり「その何かを手放せないでいるとき=執着しているとき」なのです。
たとえば、恋愛であれば「彼との関係に執着している」「昔フラれた彼女に執着している」。仕事であれば「自分のやり方に執着している」「今の地位に執着している」というケースは多いですね。
他にも「お金さえあれば何でもできるけど、お金を失ったらどうしよう」という怖れが強いとしたらお金に、「もう夫に気持ちは無いけど、離婚はしたくない」と感じているのであれば結婚に執着している、と言えるわけです。
言うまでもなく、この状態はとてもしんどいです。もし今、皆さんの心が自由でない、窮屈で余裕がない、不安ばかり感じているとしたら、気づかないうちに何かに執着しているのかもしれません。
■パートナーシップで考えてみると
もし、あなたが「私のことをずっと見ててね。もし一緒にいられなくなったら、私はもう二度と幸せになれない・・・」と言って、パートナーを束縛してしまったら。
パートナーは、最初のうちは「すごく好きでいてくれるんだな」と感じるかもしれませんが、いつもそんな風だとしたら、だんだん縛りつけられるのがしんどくなってしまいます。「お願いだから自由にさせてくれ」と思うようになって、次第に心が離れていってしまうでしょう。
失うことの怖れが強いほど、求める気持ちはますます強くなってしまうものです。そんな心の状態のときには、パートナーばかり求め過ぎてしまって、自分の心の中の大切にしたい気持ちを後回しにしてしまったり、今の状況が苦しくて仕方ないのに止めることができなくなってしまうのです。
さらにパートナーを本当の意味で愛することができませんし、パートナーの愛を受けとることもできなくなってしまいます。
なぜなら、相手がどこへも行かないように束縛してる間は、不安や怖れを解消できる気がするので、パートナーを愛することよりも縛っておくことにエネルギーを注いでしまうからです。
だから、嫌われると分かっていても、しがみつくような言葉を言ってしまうし、時には周りとの関係が悪くなったとしても相手を求め続けてしまうこともあります。
また、パートナーが一緒にいてくれるのはしがみついて縛りつけているからであって、もし解放して自由にしてしまったら、きっと他の誰かのところへ行ってしまうに違いないと思ってしまうので、たとえパートナーが愛を伝えてくれも一切受け取れないんです。
「気を使っていってくれてるんでしょ」「でもいつか離れていくに決まっている」そんな思いが出てきてしまうからなんですね。
■手放した先にあるものは
あなたがパートナーに執着していると感じていたら、「この人と一緒にいることで手に入れたいと感じているものがあるとしたら、それは何だろう?」と考えてみると良いでしょう。
それは「楽しんでいる自分」かもしれませんし、「自信」あるいは「深い安心感」かもしれません。
もしあなたがパートナーとともに過ごす時に感じる深い安心感を、本当に感じたいと願っているとしたら、あなたが本当に求めたい本質的な要素はパートナー自身ではなくて、深い安心感なのかもしれないのです。
しかし、たとえ今の相手と結婚したとしても、心が失うことを怖れた「執着」の状態であったら、おそらく深い安心感は感じられないでしょう。形だけを手に入れても、本当に求めているものの本質はいつまでも満たされないのです。
執着を手放すとは、しがみつきや束縛を解いて、相手もそして自分も自由になるということ、そして求めていた相手の奥にある本当に手に入れたかった本質的な要素に気づくことなんですね。
すると、かつて執着していたパートナーが戻ってくるか、あるいは他のもっと素晴らしい相手がやって来て、その人を通して深い安心感を受けとることができるんです。もしかしたら、あなた一人でも深い安心感を受けとることができるようになるかもしれません。
心が何にも捉われていないときには、心惹かれるものに出会っても「なかったらなかったで構わないし、あったらあったでもっと人生が良くなりそうだ」と思えるものです。
「どっちに転んでも幸せになれる」そんな心の自由さが、執着を手放した後に入ってくるご褒美なのかもしれません。
(完)