「ミスは修正すればいい」の意味を知り、罪悪感を正しい大きさに切り分ける
過ちは修正するだけで大きすぎる罪悪感を感じる必要はありません。罪悪感を感じている時は、目の前の「申し訳ない」の後ろに隠れている「申し訳ない」が存在します。この視点を持って「目の前の罪悪感」と「それ以外の罪悪感」を切り分けることで罪悪感は正しい大きさにしていけます。
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◇「ミスは修正すればいい」という視点
前回は「仕事上でミスをした時に感じる罪悪感は、それとは別の罪悪感を合わせて感じてしまい、苦しみが必要以上に大きくなってしまっている」という点についてお伝えしました。
このことを覚えておくと、仕事でミスをした時等に、必要以上に苦しまないで仕事に取り組み直すことができます。
人は誰でも間違いをしてしまうものです。
そこで必要な修正をし、謝罪すべきことは謝り、自分の行いを正すこと。
その上で仕事を進めていけばいいのですが、実際には「感情」がいうことを聞かず、激しく自分を責めてしまうことが多いのです。
反省することは必要なことですが、必要以上にしてもそれは逆効果になります。
同じ職場の人やあなたの仕事に関わる人たちにとっては、あなたが必要な大きさで罪悪感を感じて修正してくれることをのぞんでいます。
ところが、あなたが罪悪感を必要以上に感じて苦しんでいると、その姿を見て、周りの人は苦しくなってしまい、時にはあなたのその様子を責めたくなったりします。
周りの人が「あなたを必要以上に苦しめてしまった」という罪悪感を(無意識の場合も多いですが)感じてしまうからなのですね。
私たちの心理学には「ミスは修正すればいい」という言葉があります。
あなたが仕事でミスをした時は、あなたが感じている罪悪感の大きさより、周りの人が感じているものは小さいことが多いのです。
時には、あなたが激しく申し訳ないと思っているのに、周りの人が全く気にしてないことさえあります。
仕事でミスをしたり、何かしら間違ったことをしてしまった時には、必要な修正をし、謝罪が必要な人に謝ること、また、フォローしてくれた人がいたら感謝すること。
そんな風に過ちをカバーしていけばよいという視点を持ってみましょう。
◇「目の前の罪悪感」と「それ以外の罪悪感」を切り分けて考えるという視点を持ってみる
目の前の罪悪感だけでなく、別の罪悪感に苦しんでいる。
この大きさのギャップはどうして起こるのでしょうか。
それは前回お伝えした「無意識にオートマティックな連想によって別の罪悪感が上乗せされるから」です。
例えば、
「高校時代、バレーボール部の大切な試合でのミスをしてしまった」
「新入社員の時に仕事がうまくできなかった」
「初めてつきあった恋人との失恋が辛かった」
「自分の子供が幼い頃、仕事との両立が大変で十分愛情を注げなかった」
こんな風に、私たちには様々な後悔等による罪悪感を持っています。
こうした昔や最近の出来事に付随する罪悪感を目の前の罪悪感に上乗せしてしまっているのですね。
このことは、別の言い方をすれば
「今、ことさら何もない時でも自分の中に罪悪感がある」
ことを表しています。
これを「仕事でミスをした時に感じる罪悪感」を例にして、心の中を解説してみましょう。
自覚しているのは「仕事でミスをした罪悪感」なのですが、実際にはこのようになっています。
・元々、何らかの罪悪感を持っている
↓
・仕事でミスをした
↓
・ミスをした罪悪感+元々の罪悪感
↓
・ひどく「申し訳ない」と感じて自分を責め過ぎてしまう
つまり、罪悪感を感じている時の心の中は
「今あなたが感じている罪悪感」=「目の前の出来事に関する罪悪感」+「(過去か今、別に感じている)罪悪感」
ということになっているのです。
過去か今、別に感じている罪悪感は自覚できてない場合も多いので、とてもわかりにくいのですが、こうやって考えてみると、罪悪感の正体が見えてきます。
実際は、目の前の「申し訳ない」の後ろに隠れている「申し訳ない」があるのです。
この視点を持って「目の前の罪悪感」と「それ以外の罪悪感」を切り分けて考えてみましょう。
「目の前のこと以外の、自覚できない罪悪感が隠れているとしたらどうだろう。
少なくとも目の前の出来事に関する罪悪感は、今自分が感じている罪悪感よりは小さいらしいぞ。」
こんな風に感じてみるだけで罪悪感は減らしていけます。
目の前の「申し訳ない」と感じるような出来事に対して、過去や今の別の罪悪感がつながってしまうというのは、やむ得ないことです。
罪悪感を感じることを責めることなく、自分のこうした心を受け入れ、寄り添ってあげてください。
実は、こうして罪悪感を感じてしまうことこそ、あなたがその下に優しさと愛情を持っている証拠なのです。