自分の罪悪感を感じないために、誰かへの怒りを使って隠しているとしたら
誰かに対して怒りを感じている時。その怒りの正体が「自分の罪悪感を感じないために、誰かへの怒りを使ってそれを隠すこと」だったとしたらどうでしょう。誰かに怒っている大きさより、自分自身を責めている大きさのほうが何倍も大きいのです。そこに気づくことが自分の罪悪感から抜け出す方法です。
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自分では罪悪感とは感じていないけれど、実際には罪悪感が隠れていて、自分を苦しめている、という場合があります。
その代表例が「誰かや何かに対して怒りを感じている」時です。
私たちは怒っている時とは、相手に腹を立てているだけではなく、自分自身に怒っている時なのです。
◇怒りの原因が罪悪感だとしたら?
罪悪感は私たちが一番感じたくない感情です。
罪悪感を感じないためには何でもする!というくらい感じるのが嫌なのですね。
そのために、あらゆることを総動員して感じないようにします。
その方法の一つが、自分の感じている罪悪感を別の誰かのせいにする=怒り、というやり方です。
「怒りは感情の蓋」という言葉があります。
その意味は、怒りは本当の気持ちを隠すために使われる、ということなんです。
例えば、あなたの恋人が二人で一緒にいる時にとても冷たい態度を取るとか、LINEを送っても無視するようなことをした場合を考えてみましょう。
あなたが彼に怒りを感じるのは当たり前の話です。
ところが、この怒りは目の前の彼の態度に対する怒りだけでできているのではありません。
「彼への怒り」と「自分の罪悪感を隠すための怒り」が合わさった大きさになってしまっているのです。
「今、あなたが感じている怒り」=「誰かや何かへの怒り」+「自分の罪悪感を隠すための怒り」
怒りの正体は、このようになっているのですね。
この「自分の罪悪感」にはいろいろなものが含まれているのですが、その代表は「自己攻撃」です。
彼の悪い態度の理由を「自分が悪いからではないか」と感じるところから生じる罪悪感だったりするのですね。
「過去に彼に対して自分が悪い態度を取ったせいで彼が怒っている」のように実際に自分が悪かったという場合もあるのですが、多くの場合は「自分に価値がない」と感じているところからきています。
価値がない自分は愛されない、嫌われる、悪い態度を取られても仕方ない。
自己攻撃は罪悪感のひとつの形なのです。
しかし、この罪悪感は苦しすぎるので、感じつづけたら心が持ちません。
だから、怒りでフタをして、罪悪感を感じないようにしていきます。
ところが、これは無意識でやっていることなので、表面的には彼の態度に怒っていることしか自覚できません。
すると、彼への怒りを鎮めようと努力しても、うまくいきません。
自分への怒りに気づき、その奥に自分が罪悪感を感じていることに気づく必要があります。
怒りの正体が「自分の罪悪感を感じないために、誰かへの怒りを使ってそれを隠すこと」だったとしたら、という視点を持ってみましょう。
そう考えていくと、誰かへの怒りが大きければ大きいほど、その誰かに対しての怒りが大きいのではなく、自分の中の罪悪感が大きいということになります。
このことは、誰かへの怒りを感じた時に、その怒りを鎮めるのにとても役に立ちます。
先の彼の態度が悪い例に当てはめてみましょう。
「今、私が感じている怒り」=「彼の態度が悪いことへの怒り」+「自分の罪悪感を隠すための怒り」
これを思いながら、
「今、私は彼の悪い態度に怒っている。でもそれだけではなくて、罪悪感を感じて自分を責めているからかもしれない。その苦しみを感じないようにするために怒りを使っているのかもしれない。
そして、この怒りが大きい度合いだけ、自分の中の罪悪感も大きいのかもしれない。」
こんな風に思ってみてあげてください。
そして、私の怒りは、彼への怒りが何パーセントで、自分の中の罪悪感は何パーセントなのかな、と考えてみます。
例えば、彼への怒りが30%、自分の罪悪感が70%だったら、
「私は彼に今、30%しか怒ってないんだ」と思うことで彼への怒りは減らせます。
そして
「私自身に70%も怒ってるんだ。この大きさだけ自分を責めてるんだ」
と思いながら
「そこまで自分を責めなければいけないのだろうか」
と自分に問いかけてあげて欲しいのです。
こうして「彼への怒り」と「自分の罪悪感」を正しい大きさに切り分けられると、気持ちはとても楽になります。
こうすることによって「彼にちゃんと怒る」こともできますし、「自分をそこまで責めなくてもいいのではないか」と自分の価値も今までより感じられやすくなります。
実際には、心はこんな風に簡単に切り分けられるものではありませんが、この視点を持っているのといないのとでは、苦しみはまるで違います。
誰かに怒っている時も、自分が罪悪感を感じている時も、苦しい時には「罪悪感の正体」について思ってみて欲しいのです。
私たちはほとんどの場合「正しい大きさで罪悪感を感じることができていない」のです。
罪悪感の存在に気づき、必要な大きさで認識するという視点をいつも持ち続けてください。