切り倒された柿の木

わたしの実家に富有柿の木がありました。

富有柿はわたしの大好物で子供も好きなものですから、秋も終わりになって、冷たい風が吹くようになると母から、柿が大きくなったから取りにおいで、と電話がかかってきます。
休みになると実家に帰って富有柿をちぎるのを毎年の楽しみにしていました。

この木は、わたしが小学生の頃、父が実家を新築したときに苗木を買ってきて庭の片隅に植えたもので、わたしの成長とともに大きくなった木です。
樹齢50年くらいになります。
柿の木は隔年で収穫が多くとれます。
多くとれた翌年は実が少なくなります。
少ないといっても、ビニール袋に山盛りで、3袋も4袋も取っても、まだ取り切れない柿が半分以上残っています。
この柿の木は沢山の恵みをもたらせてくれました。

ある時、実家に帰ると、その富有柿の木が切り倒されていました。
びっくりして母に聞くと、
「柿の葉が落ちて、掃除が大変やから切ってしもうた」
というではないですか。
わたしは毎年の楽しみがなくなってしまって、がっかりしました。

楽しみがなくなったという残念さもありますが、それ以上に、あるべきところに、あるべきものがなくなったという寂しさを同時に感じました。
もうないのか、という思いが込み上げてきました。

母はこの頃、90歳くらいでしたが、かくしゃくとしていました。
が、それは傍目からのもので、母にしたら体のあちこちに衰えを感じていて、体を動かすことに大儀さを感じていたのかもしれません。

倒された木を見て、母は落ち葉掃除の大変さばかりを見ているけど、どうして柿の木から受ける恵みをみてくれなかったんだろう、と残念に思いましたが、それを母には言いませんでした。

だって、わたしは柿をちぎって食べるだけ。
母の落ち葉掃除の大変さを知らなかったからです。
考えてみると、母は毎年毎年、散った落ち葉の掃除を北風の吹く中でガンジキ(熊手のこと。わたしの田舎ではこう言います)で集めては焼いていたのです。
わたしはそれをやったことがないし、それをしている母を見たこともなかったのです。
母の大変さを知りませんでした。
ましてや、年老いてからの母には相当な重労働だったのかもしれません。

だから、わたしは母には何も言えません。
柿の実を楽しみにしていることは十分母にはわかっていたはずです。
それでも切らなければならなかった言う事実に、母は自分の衰えを感じていたのかもしれません。

柿の木を切れたのは、その恵みも大変さも知っている母だからこそです。
自分が亡くなったあと、この大変さを家族に残したくなかったのかもしれたせん。
あるいは、本当に大変なだけだったのかもしれません。
母がどういう思いで切ったのかは、わたしは知る由もないのです。
ただ、すべてを理解して切ったのですから、残念な思いはありますが、それで良かったのだと思います。

母は、その翌年か翌々年に急速に衰えて亡くなりました。
母もいなくなり、実家には春と秋の彼岸に仏壇にお参りに帰る程度です。

いまでは、切った柿の木からわき目が何本も伸びて、わずかですが実をつけるようになりました。
木の生命力を感じて、たくましいなあ、と思っています。

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