夢についての心理学

それは無意識から「私」へのメッセージ

夢は荒唐無稽ですが、夢の中には秘められた無意識からの自分にあてたメッセージがある場合があります。
夢に現れる示唆的な事柄を受け取ることで、顕在意識では気がつかなかった自分の気持ちを受け取ることができます。
そして、それを活かして人生を前に進めることができるのです。

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皆さんは、今年はどんな初夢をご覧になられたでしょうか?

「一富士二鷹三茄子」はご存知のように、昔から初夢で見ると縁起がいい夢とされています。子供の頃、何となく一富士二鷹はそうだろうなと思っていたのですが、“三茄子”についてはどうしてだろうと何となく違和感を抱いていたものです。

初夢ではありませんが、2021年が明けて、私はとても感慨深い夢をよく見ます。

例えば30歳ぐらいに通っていた職場の横に、30歳ぐらいの私が今乗っている自分の車を駐車したはずなのに、いくら探しても自分の車が見つからないのです。車種と色とが同じ車が駐車してあるのですが、ナンバーが違うので自分の車ではないのです。

昔の職場の横がとても懐かしく感じられたと同時に、自分の車が見つからないもどかしさや焦りを感じました。さて、この夢分析は・・・最後に回すとして。

私たちの睡眠は深いノンレム睡眠と急速眼球運動を伴う浅いレム睡眠とを概ね90分ごとに繰り返すと言われています。

昔はこのレム睡眠の時に夢を見ていると考えられてきましたが、最近の研究では脳の活動状況からレム睡眠、ノンレム睡眠にかかわらず夢を見ているという実験結果が示されています。従って、私たちは一晩に幾度となく夢を見ているのですが、記憶に残るのは最後に見た夢であることが多いようです。

長年、研究開発の仕事に携わってきた私は、何度となく夢の中で研究や開発をブレークスルーできる飛び切りのアイデアを見出し、これは忘れてはならぬと枕元に置いたメモ帳に書き記して再び眠りにつきましたが、朝起きてメモ帳を見てみると「何のこっちゃ」というような内容が羅列してあり、見た夢も忘れていて、終ぞその飛び切りのアイデアは日の目を見ることがありませんでした。途中の夢は覚えていないばかりか、荒唐無稽なことが多いようです。

夢の特徴としてよく言われるのが、この荒唐無稽さと時制が存在しないことです。

最初にお話した30歳ぐらいの私が、駐車した今乗っている車を探すというのは正に時制がない夢です。荒唐無稽という点では、空を飛ぶ夢を見ることや誰かに追いかけられて屋根の上をぴょんぴょんと跳んで逃げるというアクション映画さながらのシーンが登場するケースも多く語られます。

しかし、夢は自由なキャンパスですから、何を見ようといいのです。ただ、その中に隠れた意味が存在することがあることも確かで、夢分析においては様々な心理的側面や生育歴などの環境的側面からその夢を分析するのです。そしてその結果は顕在意識では認識できないような自分の心の中を教えてくれることがあるのです。

夢分析と言えば、精神分析学派のジークムント・フロイトを思い起こす人も多いかもしれません。フロイトは、夢は抑圧した願望の形を変えて満足させることにより睡眠を守る役割を果たしていると考えました。願望が形を変えるのは、ストレートな願望では刺激が強過ぎて睡眠を守れないからとの解釈です。人間の行動は主として性的なエネルギーに基づいているとの考え方に基礎があるので、例えば、キノコは男性器を意味していたり、貝は女性器を意味していたりと解釈されます。

一方、フロイトの夢分析に疑問を抱いていたカール・グスタフ・ユングに代表される分析心理学派では、夢は無意識や人類に共通する集合無意識からのメッセージと解釈されます。夢は、抑圧した心理を解放するのではなく、無意識や集合無意識などからのメッセージを受け取ることで、自身の前進を阻んでいる、内側にある様々な心理的葛藤を克服することが目的だと解釈されます。

分析心理学派の夢解釈は、自分自身の気持ちと、それにまつわる事柄が夢になって現れると解釈しますが、その夢の解釈には「主体水準」と「客体水準」という立場の異なる見方があります。「主体水準」とは夢に現れたものが自分自身であるという解釈で、「客体水準」とは自分以外の者として捉える捉え方です。

例えば、「誰かが追いかけて来て自分は一生懸命に逃げている。振り返ると同僚だった」という夢を見たとしましょう。

逃げているのは自分なので、そこは「主体水準」で解釈すると、自分は何かに追いかけられているように感じている、いつも逃げようとしている自分などの解釈ができます、一方追いかけている方は、「主体水準」では自分自身という解釈になり、同僚の姿を借りた自分自身が“自分で自分を追いつめている自分がいる”ことになります。

更に言えば、“自分に厳しい自分がいる”ということになりますね。一つの夢を主体水準のみで解釈するとこのようになります。ところが追いかけている方を「客体水準」で解釈すると例えば追いかけているのは“嫌な同僚”であり、その人から自分はいつも逃げているという解釈もできます。“顕在意識ではそうは思わないようにしていたけれど、本当はあの同僚のことが嫌いだったのだ”という塩梅です。

自分の状況や行動に鑑みて、またあるいは見た夢の続きや傾向から自身の夢を分析すると、そこには何らかの人生のヒントが隠されているかもわかりません。

さて、私が見た先の感慨深い夢についての私自身の解釈ですが、自分が選択した事柄に対して迷いが生じているのではないかと考えています。顕在意識ではそのようなことは思っていなかったのですが・・・・。

昔の職場のイメージは最初に就職した職場で、私はそこから何年かして転職しています。丁度30歳を過ぎた頃のことでしょうか。仕事はやりがいがあり、面白かったのですが、このままでいいのかという漠然とした思いがありました。

一方、駐車したはずの今の車が見つからないというエピソードは、今、本当は心の中で迷っているということではないかと思います。車は乗り物ですから、人生なのかもしれません。また、ナンバーのみ異なる同じ車種、同じ色の車があるということは、何かの選択が間違っていると感じていることを示唆しているようにも受け取れます。

さて、この夢から今後どのような人生が開けていくのか、とても楽しみです。

(完)

この記事を書いたカウンセラー

About Author

恋愛や夫婦間の問題、家族関係、対人関係、自己変革、ビジネスや転職、お金に関する問題などあらゆるジャンルを得意とする。 どんなご相談にも全力投球で臨み、理論的側面と感覚的側面を駆使し、また豊富な社会経験をベースとして分かりやすく優しい語り口で問題解決へと導く。日本心理学会認定心理士。