愛される勇気を持つために
オトナであればあるほど、なぜか「愛すること」にこだわり自分ばかり与えようとしたり、相手の労力をかけないことばかり考えてしまうことはないでしょうか。対等なオトナの恋愛を成功させるには「自分を相手に愛させる」ということが必要になります。確かに怖いですが、自分を最愛の人に委ねることが相手への信頼となるのです。
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■愛を受け取る
とかくオトナであればあるほど、大切な人を幸せにしたい=「自分から愛を与える」ということを考えるものではないでしょうか。確かに「愛を与える」ということは相手を愛することであり、愛を与えなければより良い関係性は築けません。
逆に「受け取り手のない愛」は宙に浮いてしまい、これを交わし合い続けた関係は、喜びのない、燃え尽きたような関係となっていきます。お互いに好意も愛も情熱もあるのに、相手とうまくつながれない、つまらないと感じる関係になってしまうのです。
では、「愛を受け取る」とはどういうことでしょうか。
ここでは「特定の誰かが自分に向けた愛や好意、その意図などを自らの心で感じ取る」と考えていただくといいでしょう。
私達の心理学において「相互依存の関係」と呼ばれる領域では、「受け取ることもまた愛することである」と考えられています。つまり、相手の愛を受け取ることで相手に与えることができるのです。
ここでの「受け取る」とは「与える」と同じ意味を示し、かつ、相手が与えることと同時に起こることなのです。
逆に「受け取り手のない愛」は宙に浮いてしまいます。この状態を続けた関係は、喜びのない、燃え尽きたような関係となっていきます。お互いに好意も愛も情熱もあるのに、相手とうまくつながれない、つまらないと感じる関係になってしまうのです。
例えば、パートナーが私のためにプレゼントを買ってくれた、といった事実があったとしましょう。
このパートナーが自分にもたらした事実やモノは「相手の愛や好意がカタチとなったもの」と考えてみてください。
これを受け取ることが「愛を受け取ること」のように思えますが、実はそれは「事実を受け取った」だけです。「愛を受け取る」という状態ではありません。
ここが受け取ることが分かりにくい理由であり、かつ理解をするためのポイントになります。
繰り返しになりますが、愛を受け取るとは「相手の好意、気持ちを自らの心で感じ取ること」です。
例えば、パートナーのプレゼントを受け取るとき。
目の前に差し出されたものを受け取ることに加え、「相手がどんな思いで、どんな気持ちでこのプレゼントを選び、私にどんな気持ちを伝えたいと思ったのか、どんな気持ちをプレゼントに込めて届けたいと思ったのか」を、自らの心で感じ取るという部分までが「愛を受け取る」ということになるのです。
ただ、この話をさせていただくと、必ずと言っていいほど「それはこちらの一方的な都合の良い解釈では?」という質問が飛んできます。
どこか「自分が勝手に相手の好意を拡大解釈したり、勘違いして受け取っていたとしたらすごく恥ずかしい」と思われているのかもしれません。
ただ、愛を受け取るときに求められるのは想像力・空想力ではなく「審美眼」です。美しいものを見る眼、観点が必要で、勝手な妄想では相手の愛を受け取ることができません。
そして審美眼を培うプロセスが「自ら惜しみなく愛を与える」という行為にほかなりません。
自分自身が誰かに愛を届けているとき、それはとても良い気分になります。そして、愛を受け取ってもらえなかったとき、残念な思いを感じることもあるでしょう。これもまた愛することを通じて経験する学びの一つと言えるかもしれません。
このような愛を与える経験を通じて、私たちは「愛する側」の気持ちを理解していきます。この経験なくして、与える側の愛を体感することはできないのです。自分が愛するという経験を積むことによって、いい意味での投影が作られるのですね。
■問題は愛のすれ違いにある
また「愛を受け取る」ことには、以下のような問題がつきまといます。
「他の誰かが自分に向けてくれた愛と、私が求めている愛、感じ取れる愛が異なっている」。
例えば、パートナーがご飯を作ってくれたことは嬉しいし感謝しているけれど、実は自分が食べたいものではなかった、といったことはよく起きることではないでしょうか。
このとき、相手に感謝しているけれど喜びきれないことってないでしょうか。人によっては「ありがた迷惑」かのように感じたり、被害者意識から「これって私へのあてつけかな」と感じてしまう人もいるかもしれません。
ただ、審美眼を養い「相手はどんな気持ちでそれを与えたのか」を理解できれば、「相手から差し出された愛の価値が分かる」ようにもなっていきます。
見るといい部分は自分に向けられた相手の想いや感情なのです。
■愛される勇気とは
もし、自分が愛を与える喜びを知っているなら「相手も自分と同じように、大切な人のことを思い、行動しているのではないか」と理解することです。
これが「愛を受け取る」ということの入り口です。
少し自分だけが与えるという意識を横において、その目で相手が「自分のために与えようとしている」ことを受け止めるてみましょう。
相手はどんな思いで「自分のことを思ってくれているのか」と、相手のことを見つめてみるのです。今までの自分の経験を基に少しイメージしてみても良いかもしれません。
そして、相手がどれだけの思いを自分に向けているかが理解できたとき、私達は大きな安心感とつながり、そして喜びを感じ、それを相手に差し出すことができるでしょう。
それによって、相手もまた安心感やつながり、喜びを感じるのです。
だから「受け取ることは与えること」だと言われており、かつ同時に引き起こされることだと考えられているのですね。
そう考えますと、「愛される勇気」とは、与え続けてきたオトナが一度立ち止まり「パートナーはもちろん、親、家族、仲間など自分を取り巻く人は、自分を喜ばせたいと思っているのではないか」と知り、その人々の美しい心を見ることを意味するのだ、と私は考えています。
(完)