周囲からいい評価をされるのが苦手~自己嫌悪と補償行為~

周囲の人から、いい評価をされればされるほど、「ほんとのわたしはそんな人じゃない・・」と落ち込んでしまうんです。
「すごいね」「さすがだね」と言われるとすごく居心地が悪くって・・。
こういったお話はカウンセリングの中でも、よく耳にします。

今日は、そんな「良子さん」(仮名)を例に、「自己嫌悪」と「補償行為」について書いてみたいと思います。

とても仕事ができて、明るく活発な「良子さん」(仮名)。

みんなから、「頼りになるね。」「いつも明るいね。」「元気だね。」と声をかけられるのですが、そのたびに、良子さんは
「そんなことないよー!わたしはたいしたことのない人間なんだから。」と心の中で叫びたくなります。

そのうえ、そんな気持ちを隠して、笑顔で「どうもありがとうございます。」「うれしいです。」と答えるたびに、周りの人を騙して嘘をついていると「自己嫌悪」も感じます。

良子さんは、とてもまじめで、責任感が強く、仕事でも結果を出していますし、人間関係にも特に問題はありません。周りの人が言うように頼りになるし、明るい人柄です。

客観的にみると、いい評価を受けるのは自然なことだと言えるのですが、良子さん自身は、自分への高評価に違和感を感じているのです。

なぜ、そんなふうに感じてしまうのでしょうか?

その原因の一つは、良子さんのセルフイメージ。
実は、良子さんは自分のことを「わたしは鈍くさくて、要領が悪い。」「わたしは陰気で、おもしろみがない人間だ。」と思っていました。

そのため「わたしは要領が悪いんだから、がんばって段取りよくしなくっちゃいけない。」「わたしは陰気だから、がんばって明るくふるまわないといけない。」というように、「ダメな自分を隠すために」懸命に努力していたのです。

その努力の結果として「頼りになる!!」「明るい!!」と、みんなから認められるようになったのですが、良子さんが感じるのは「ダメな自分(本当の自分)がばれなくてよかった~」という感覚だけで、自分への評価を受け取ることができないのです。

それどころか、「わたしが段取りよくしてるから、みんなは認めてくれているだけで、ホントのわたしを知られたら、きっと誰もわたしを評価してくれないだろう。」という漠然とした不安も感じていました。

ホントの自分はダメだから、ダメな自分を隠して、すばらしい自分を演じるような行為のことを「補償行為」といいます。

補償行為の裏側にあるのは「自分はよくない・価値がない」という感覚なので、どんなに頑張っても、素晴らしい行為をしても、認められても、得られる感覚は良子さんが感じているような「ダメな自分がばれなくてよかった」「ばれないためにはもっとがんばらないと」という感覚で、満たされることがありません。
こんな状態がずっと続くのはつらいものです。
この苦しいループを抜けだすために、ちょっと視点を変えてみましょう。

良子さんにとっては、ダメな私を隠すための行為であったとしても、段取りよく仕事をしていることも、明るく振る舞っていることも、決して、悪いことではありません。
むしろ、すばらしいことだと言えると思います。

良子さんは、隠すのを止めたら、本来のダメなわたしになってしまう・・という怖れを抱いているので「ばれないように!」と思いましたが、実は、隠すのを止めても、ダメなわたしにはなりません。

時々「鈍くさく」なり、時々「落ち込みがち」なるだけです。

いい子のわたしと本来のわたしがバランス良く存在するだけなのです。

だから、「バレたらどうしよう」という自分の怖れを少し横に置いて、周りの人の目に映る「いいイメージの自分の姿」をそのまま受け取ってみましょう。

受け取れた分、隠している自分を「隠さないでも大丈夫」と思えるようになります。

この記事を書いたカウンセラー

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