人を信じるのが怖かった私が感じられた安心感

私がカウンセリングをしている中で、「人を信じるのが怖いですし、実はカウンセラーさんを信じるのも怖いのです。」と相談されることが時々あります。
私はそれを聞いて、よっぱど辛い体験をされて来られたのだろうか?誰かをあてにすることも出来なくて一人で頑張ってこられたのだろうか?などと想像しながら相談者のお話しを伺っていきます。

という私自身も昔は本当に人を信じられないタイプだったのです。
人を信じられなかった私が人を信じれるように変わっていくきっかけとなったエピソードをお話してみたいと思います。

私は幼少期の頃から「人前で泣いてはいけない」と強く信じて生きていました。
6歳の時に大けがをして12針ほど縫う手術をしたのですが、私は歯を食いしばって絶対に泣かない辛抱強さをこの時にもう身につけていました。

子供ながらにも「人前で泣く事=人に弱みをみせる事」は恥ずかしい事なんだと感じていたようで、大人になってもそれは続きました。
人に自分の弱さを見せる、誰かに悩みを相談するなどは私の選択肢には浮かばないということは、つまり私は誰の事もあてにしていない、誰も信頼していなかったとも言い換えれます。

人を信じられないと心に鎧を着て生きていた私が、今はどうして人前で泣けるようになったのか、人を信じてみようとカウンセリングを受けてみようとなったかといいますと…。

それは妹がくれたある言葉がきっかけだったと思います。

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私には妹がいますが、妹の進学をきっかけに二人暮らしをはじめるようになってしばらくしたときに事件がおこりました。

当時私がお付き合いしていた同じ職場の彼から、私は毎日のように罵声を浴びせられるようになり、私の片耳は聴力を失いかけたのでした。
散々悩んで精神的に限界まできて、私はようやく妹に事情をうちあけたのでした。

妹はただ私の話を黙って聴いてくれました。
彼と別れることを勧めたり、職場を辞めることを勧めたり、アドバイスをするとかでもなく、ただ私の話にずっと耳を傾けて聴いてくれました。

すると私の目には涙がいっぱい溢れ始めたのです。
溢れる涙を必死で止めようとする私に、妹が私の肩に手をまわし「泣いてもいいんだよ」と優しく言ってくれたのでした。

「泣いてもいいんだよ」

私はこの言葉に衝撃をうけました。
本当に心底びっくりしました。

「え??泣いてもいい???」
「泣いたら迷惑じゃないの?」
「大人なのに我慢しなくていいの?」と感じると同時に
「泣いてもいい」という言葉があまりにも嬉しくてたまりませんでした。

そこからダムが決壊したかのように、20年以上堪えていた涙がとめどなく流れていきました。

そしてひとしきり泣ききって、まるで生まれて初めて誰かに受け止められたかのような安心感をその時感じていました。

私は人に弱さを見せていいのだと許可が下ろせたことで、不安や寂しい感情を素直に感じることができ、心に着せていた重い鎧を脱ぐことができました。
それは妹に心をひらき、妹を信頼した、初めて味わうような体験だったのですね。

自分の気持ちや感情をそのままただ受け入れてもらう、ありのまま自分の存在を受け入れられた喜びを感じていたのだと今思います。

それは私のずっとずっと欲しかったものだったのでしょう。

私はこの体験がきっかけで妹以外にも誰かを信じてみたい、こんな安心感を他の誰かにも感じられるようになってみたい。自分の弱い部分を誰かに見せてみようという変化が心の中に生まれはじめました。

やがて妹の勧めてくれた「カウンセリングを使う」という、誰か相談して頼るという選択肢が私の中に取り込まれ、長い年月をかけ私の心は癒され変化していきました。

それは約20年後カウンセリングをする側の私になる、人生のターニングポイントだったと感じています。

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私は妹が昔くれたあの安心感をいつも原点に思い出しながら、相談される方の胸の奥に抑圧されてる感情に安心感を届けられたなら、きっと自らの一歩を踏み出す勇気につながると信じてカウンセリングをさせてもらっています。

そしてこの記事を読まれてる方の中で、身近な家族や友人が困っていて、なんてアドバイスをしたらいいのか解らないと悩んでおられる方がもしおられたら、ただ耳を傾けて寄り添うだけで人は救われることもあるとぜひ知っておいてくださいね。

コロナ禍で人との繋がりが途切れ孤独になりやすい時代だからこそ、今まで以上に沢山の人が繋がりを求めていると感じます。
私達の中に在る優しさを誰かに寄り添う力に使えるように、そこから希望を感じて私の人生が変わりはじめたあの時のように、そんな人が一人でも多く生まれることを願っております。

この記事を書いたカウンセラー

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