わたしの友人が育児休暇を取っていたときの話です。
「久々に前の部署に顔を出したの。後輩が新しいリーダーになったんだけど、そそっかしくてよくミスしてたし、務まってるのかなぁって思ってたんだ。
ちょうど、顔を出したときも、何かミスして上司に注意されてるところだったんだけど、上司は注意はしてるけど、顔は笑ってて、次からがんばってね、みたいな感じだったんだよね。
わたしの時は、何やってるの!って、ピシッと言ってくるタイプだったのに、態度が違うって気がして・・。なんだか損した気分になった。
わたしは人に迷惑かけないようにがんばってきたのに厳しくされて、甘えん坊の後輩はミスしても許されるだなんて・・。」
がんばって成果をだしているのに、かわいがってもらえない自分と自分ほど成果を出していないのに、かわいがってもらえる後輩。
「・・・なんか、あの子、ずるい」
「そう感じている自分が惨めで情けない。」
友人は、そう言っていました。
この話を聞いて、わたしは思わず聞いてしまいました。
「あなたも、かわいがられたかったの?」って。
友人の答えは
「・・・そんなことは、ない。でも、わたしより、かわいがられてる人の方が認められてる気がする。」
わたしたちの心には「承認欲求」というものがあります。
「認められたい」という気持ちです。
友人の場合、「かわいがられる=(仲間として)認められている」と感じていたのです。
給料が上がる
昇格する
仕事を任される
これらの要素は、周囲や上司や会社からの「承認」だと言えます。
でも友人は、これらの要素を「やるべきことをやっただけ」「仕事の結果」とは思っていましたが、「承認」だとは思っていなかったのです。
それだけではありません。
「がんばらなければ社会人として失格だ。」
「仕事のできないわたしは、会社にいてはいけない。」という怖れも抱いていました。
すると、「がんばってるね」と認めてもらっても、「あーよかった」とほっとする反面、「もし、がんばってなかったら認めてはもらえないんだ。」と感じます。
友人には、後輩さんは「がんばっていないのに認められてる」と見えていました。
だから、うらやましかったし、仕事の上でも後輩に負けてしまったような気分になったのです。
かわいがられるというのは、子どもの頃や新入社員のような依存時代の愛され方です。
友人は、両親がとても忙しい環境で育ったため、小さいころからしっかりしなければという思いが強く、自立的な生き方をしてきていました。
それは両親に負担をかけたくない、困らせたくない、役に立ちたいという子供らしい「愛」から生まれた行動だったのですが、自立が早かった分、かわいがられるという経験をする機会があまりなく、「自分は両親から愛されいるのだろうか?」という不安をいつも感じていたのです。
そのため子供時代に抑圧した「本当はママやパパに小さな子供としてかわいがってもらいたかった」「本当にわたしは愛されているのだろうか」という思いや不安が心の奥に「痛み」として残っていました。
上司や先輩からかわいがられる人を見ると、友人の心の奥にあった、この「痛み」が刺激され、自分は愛されていないんだとオートマチックに感じていたのです。
もしあなたが友人と同じように「しっかり者って損!」「できない子って得!」
と感じやすいのなら、あなたの子供時代の心の傷が痛んでいるのかもしれませんね。
疼く心の傷はあなたが一生懸命生きてきた証。
自分の一生懸命を、まずは自分が承認してみませんか。