●人それぞれの感想は違うもの
とある場所で、オリンピックの放送を見ていました。
オリンピックを迎えるまでの練習もコロナ禍前の環境とは違うようになり、練習もままならなかった選手なんかもいたんじゃないか?
色んな困難を乗り越えてオリンピックという舞台に立っているんじゃないか?
などと、実状は詳しく知らないのですが勝手にそう想像しながら観戦していると「この選手、頑張ってきたんだろうなぁ」と、しみじみしながら見ていました。
そんなしみじみしている時に、同じテレビを見ていた、他所のおじさんの「予選落ちはあかんわ」(あかんわは方言で、ダメだなぁという意味)との声が耳にはいりました。
同じ番組の同じシーンを見ていても、人それぞれ感想は違うものだなぁと思いました。
●投影という視点
観戦の仕方や、それを見ての感想は人それぞれであって良いと思います。
人それぞれで良いという前提で、心理学の投影という観点で見ると、批判的な姿勢で見るよりも、応援する姿勢、良いところを見つけようとする姿勢でいると心が楽なモードでいやすくなるというのは言えるかと思います。
これはオリンピックの観戦の仕方の話だけではなく、物事全般の話として解釈して頂ければと思います。
投影とは。自分の心の状態を外に投射することであり、ざっくり言うと、『自分がこう思うように人もこう思うのでは』と心が捉えるようなことです。
例えば、
職場の人がライバル社とプレゼンを争った結果、あと一歩のところで契約が取れなかったとします。
その結果を批判的な姿勢で見たとします。
「あいつはいつも詰めが甘いから大事な契約を逃すんだよな」
と思うとします。
普段そういう姿勢で物事を見ることが多いと、その投影が働きやすくなります。
物事が上手く行っていないことがあると、自分が物事が上手く行っていない他人に対して批判的に思うように、物事が上手く行っていない自分のことを他人は批判的に思っているんじゃないかという投影が働くのです。
「バカにされているんじゃないか」「ダメなやつと思われているんじゃないか」などなどの否定的な想像が働きやすくなるのですね。
逆に、
職場の人がライバル社とプレゼンを争った結果、あと一歩のところで契約が取れなかったことを、良いところを見つる姿勢で見ていたとします。
「契約を逃したのは残念だったけど、あいつはよく頑張ったよ。夜遅くまで残ってプレゼンの準備をしてたもんなぁ。偉かったなぁ」
などと、人の良いところ見て、その人なりの努力を承認するような視点でいたとします。
普段そういう姿勢で物事を見ることが多いと、その投影が働きやすくなります。
物事が上手くいかなかったことがあった時に、自分が物事が上手く行っていない他人に対して、その人の頑張ったところを見ているように、自分の頑張ったことを見てくれている人もいるんじゃないかという投影が働きやすいのです。
「私の頑張りをわかってくれている人はいるはずだ」などのような想像が働きやすくなるわけですね。
●自分自身の投影で心が疲れる時は
どの姿勢で物事を見るかは自由だし、どの感想を持つのも自由なのですが、否定的な投影が作られてしまった時は、心は楽ではなさそうです。
批判的な声にさらされないように完璧を目指す人、常に戦っている姿勢で生きている人、人への警戒心を強く持つ人もいます。
「人からバカにされないようにミスが無く完璧でいなくては」
「私は負けたくない。勝ち組のポジションでいるぞ」
「表面的には良い顔しているけど、本当は私のこと良く思っていないんじゃないの?」
などなど、
自分自身の投影からくるものですが、完璧を目指しすぎたり、戦っている姿勢で生きるようになっていたり、警戒しすぎていたりがあると心が疲れやすいです。
そのモードになりがちな時は、そのモードから脱出するのに、心が楽なモードでいられる投影を作る生き方を意識的にしてみるのも良いかもしれません。
●心が楽でいられる投影を作る
心が楽なモードでいる投影を作るというのは、意識的に、応援する姿勢、良いところを見つけようとする姿勢でいようとすることなんですね。
私が誰かのことを応援しているように私のことを応援してくれる人もいる。
私が誰かの頑張りを見ているように私の頑張りを見てくれている人もいる。
私が誰かのことを認とめているように私のことを認めてくれる人もいる。
などなど、
心が疲れにくい投影が作られると、心が楽でいられる時間が増えますね。
ご興味を持たれた方は、よろしければ心が楽でいられる投影を作っていくのにチャレンジしてみてはいかがでしょう?
何かのヒントや、インスピレーションになれば幸いです。