バウンダリーオーバーを意識する
◆バウンダリーは身体を取り囲む透明バリアのようなもの
バウンダリーとは自分と他人を区別する境界線のこと。境界線は目には見えませんが、イメージするとしたならば、線というよりは私たちの身体全体をぐるっと囲んでいる、透明なバリアにたとえることができます。
私たちはそれぞれに自分のまわりに他人が勝手に入ってこないような個人的な空間をもっています。その空間のことを“パーソナルスペース”といいます。満員電車にストレスを感じるのは、パーソナルスペースのなかに他人が入り込んでいるので不快さを感じているわけです。
透明なバリアで守られているのは、パーソナルスペースばかりではありません。自分の身体、気持ちや考え方、持ち物、時間など、いろいろなものを守っています。
たとえば、嫌だと言っているにもかかわらず勝手に部屋に入られること。これは空間の境界線が守られていないとき。また、勝手にスマートフォンの中身を見られること。これは持ち物の境界線が守られていないときです。
否定される、傷つくようなことばかり言われること。これは気持ちの境界線が守られていないとき。「そんなふうに思うのは変だよ」「あなたの考えは間違っているよ」と頭ごなしに決めつけられること。これは考え方の境界線が守られていないときです。
直接的な暴力、嫌なことを無理強いされること、いじめられること。これは心身の境界線が守られていないとき。都合も聞かずに電話で延々と話されることや、こちらの都合をおかまいなしに相手の都合にばかり合わせるようなときは、時間の境界線が守られていないときです。
バウンダリーが守られていないときには、必ず“嫌な気持ち”というサインがやってきます。しんどい、かなしい、こわい、つらい、いやだ、モヤモヤ、イライラするなど。これはバウンダリーオーバー(境界線越え)が起きているサイン。これらの気持ちは透明なバリアが破られていることを教えてくれているのです。
◆バウンダリーを守るための意識とは
バウンダリーは目に見えるものではないので、すぐに曖昧になります。曖昧になったところにはパワーバランスが入り込んでくることがあります。
パワーバランスとは、上下関係(目上・目下)、地位(権力の強弱)、経済力(養う・養われる)、性格(気の強さ・弱さ)などのことをいいます。どうしても立場の弱い人がバウンダリーオーバーを引き受ける側になりがちなのです。
そのようなとき、バウンダリーを守るためにすぐできることとして、私はアイメッセージを使うことをお勧めすることがあります。アイメッセージというのは「私は」「私が」と意識的に主語をつけて会話をすることをいいます。
バウンダリーが曖昧になると「私」という主語がなくなるのです。「彼はいったい何を考えているのでしょうか?」「彼は私のことをどう思っているのでしょうか?」というように主語が「相手」になるのです。
すると、自分の感情よりも相手の感情を優先するようになるので、相手次第で振り回されるようになります。自分の感情でありながら感情のコントロール権が相手にあるということになってしまいます。
これはカウンセリングでもとても多い例で、ご自分のことを話しているのだなと思って聞いていたら、じつは誰かのことをまるで自分事のように話していたとか。また、誰かがこうしたら良いと言った意見を、あたかも自分の考えであるかのように話していた、ということがよくあるのです。
なので、カウンセラーは「今、誰の話をしているのですか?それはあなたの話ですか?あなたのお母さんの話ですか?」と確認をするわけです。とくに癒着の問題があるときには「私」という主語がなくなりやすい傾向があるように感じています。
お母さんと距離が近すぎて過干渉のような状態を母子癒着といいます。幼少期からお母さんの感情や思考が入り込んでいるので、自分の意思や選択がもちにくくなり、バウンダリーが曖昧になりやすいのです。
したがって、普段から「私は○○だと思います」「僕は○○をしたいです」という主語をつけて話すことはとても大切なことです。さきほどの透明なバリアが「ここにありますよ」とハッキリさせることにも繋がるからです。
たとえば何かを断るときにも、「結構です」というのと「私は結構です」というのとでは言葉の重みが違ってくるとは思いませんか?「結構です」と断るときに手を前に出すジェスチャーを取ることがありますが、これも無意識的にバウンダリーを守ろうとするしぐさなのかもしれませんね。
(完)