妹から、ピンクと緑のお揃いのスリッパの写真が送られてきました。
黒猫が刺繍されたかわいいスリッパです。
「かわいいね。誰とお揃いなの?」と私が聞くと、
「ピンクはようちゃんにあげるね。私は緑。」と返ってきました。
妹は時々、お揃いのものをプレゼントしてくれるんです。
私と妹は一歳違いの年子で、幼いときは双子に間違えられるくらいよく似ていたようです。
母はいつも、私たち姉妹にお揃いの服や、色違いの服を着せてくれていました。
服だけでなく、靴やバッグなどの小物までお揃いだったことを思い出します。
いつも妹が赤で、私が赤以外の色を身につけることが多かったんですが、当時の私は赤い色が好きでした。
「Aちゃんはいつも赤でいいな。本当は私も赤がいいのに。」
私は心の中ですねていました。
幼いときの妹には病気があり、3歳と4歳の時に手術を受けています。
おかげさまで今は元気に暮らしているのですが、母は妹にいつも付きっきりでした。
私のことも見ていてほしいと思っていても我慢するしかなく、いつも母と一緒にいる妹がうらやましくてなりませんでした。
私たちが成長してくると、母はお揃いのものを並べて「どっちの色がいい?」と選ばせるようになりました。
すると、妹も私も「赤がいい!」となるんです。
「Aちゃんは小さいから、お姉ちゃんが譲ってあげなさいね。」
そう母に言われて、赤い色はやっぱり私の手には入りませんでした。
母の手をわずらわせたくない気持ちと、病気の妹のことを思うと、また私は心の中で一人ですねるしかありませんでした。
「どうせ私は優先してもらえない。どうせ私はいつも二番目。」と。
母のことを妹に譲っている上に、好きな赤い色まで妹のもの。
家族の中心にいるのもいつも妹。
私は家の中で寂しさを感じていました。
あるころから妹は、「Aちゃんは青がいい。」とか「緑がいい。」と言うようになりました。
そのおかげで、私が赤を手にすることが増えていきました。
私は「Aちゃんの好きな色が、青とか緑に変わってくれて良かった。」とずっと思っていました。
でもピンクのスリッパの方を私に送ると言ってくれたとき、なんだか心がざわざわして聞いてみたんです。
「小さいときAちゃんは何色が好きだった?」
「小さいとき?本当は赤だよ。」
「本当はって、私に気を遣ってくれてたの?」
「うん、それはあるよ。でも嫌な感じではなかった。」
あの幼い妹が、私に気を遣って赤を譲ってくれていたなんて。
もしかして、遠慮して素直に「私も赤がいい。」と言えない姉の寂しそうな顔を見ていたから?
母を独り占めしていることを申し訳なく感じていたのかもしれない。
妹が私のことを思ってくれていたなんて、寄り添ってくれていたなんて、まったく気づいていませんでした。
長い長い年月を超えて、あのときの妹のやさしさが私に舞い降りてきました。
妹からの愛を、私はやっと今受け取ることができました。
あのときの、すねて自分の殻に閉じこもろうとしていた小さな私が、満たされていくのを感じました。
母を譲ることは、私の妹への愛でした。
私に赤い色を譲ってくれたのは妹の愛でした。
私は妹の姉であることを選んで生まれてきたんだと感じられて、涙が溢れました。
母はきっと、私たち姉妹にお揃いの服を着せることで、
「二人しかいない姉妹だから、これからもずっと仲良くいられるように。」と願ってくれていたんだと思います。
今でも妹と私がお揃いのものを着たり持ったりすることは、母の喜びになっているはずです。
スリッパはたくさんのマスクと一緒に届きました。
私の好きなブランドのスリッパだと知らずに選んでくれたそうです。
私と妹の感性はとてもよく似ています。
ずっと一緒に育ってきたので、かわいい!好き!のポイントが同じなんです。
離れて暮らしているのに、まったく同じものを買っていたりすることがよくありますし、最近は同じ布団カバーを使っていることも判明しました。
いつもお揃いのものを送ってくれる妹。
離れているけれど、コロナ禍で全然会えていないけれど、一緒に過ごしたあのときよりも心はずっと近くに感じられています。
こう感じられるのも、お揃いの服を着せてくれた母のおかげだと思うんです。
私たちは過去のできごとにさかのぼって、愛を受け取ることができます。
私たちが幼い子供の目で見て感じていたできごとも、大人になった今の目で見つめ直してみると、そこには時を超えて伝わってくる愛がたくさんあります。
あなたにも、まだ見えていない愛があるのかもしれませんね。