自分に愛される価値がないと思っていると、相手からの愛を認識できないことがあります
Aさんは今の職場で数年働いていますが、その部署の女性の中では最年少だそうです。
いつの頃からか、新入社員が入ってくるという話を聞くと、ソワソワして「若くてかわいい女の子だったら嫌だな」と思うそうです。
今のところAさんより後に入社したのは男性ばかりで、男性だとわかるとAさんはホッとするそうです。
ところが最近また上司から、来月新しい社員が入社してくるのでよろしくと言われたそうです。
先輩たちのうわさ話によると、今度はとうとう女性だとのこと。それも入社のための面接をした上司が「すごくかわいい子だ。」と言っていたというのです。
それを聞いたAさんは、全身の血の気がサッと引くような気がしました。
とうとうその時が来てしまう。Aさんは危機感のようなものを感じ、居ても立っても居られない気分が続いているとのことでした。
上司が「すごくかわいい子だ」と言ったのが気になったからといって、Aさんが上司に恋心を抱いているわけではないとのことで、上司だけでなく部署のみんなが、新しく入って来る女性に興味津々であることが辛いと言うのです。
今からこんな状態では、後輩が入社した際には、自分の居場所はなくなってしまうのではないかと、気が気ではないと言います。
みんなの気持ちをつなぎ止めるために、何をすればいいのかと考えているとのこと。
Aさんのように、後輩が入ってくることを喜べず危機感さえ感じてしまうことについて、今日は「自己価値」という観点から考えてみます。
自己価値というのは、自分がどれだけ価値ある存在であるか、自分自身がどれくらい愛されるのにふさわしい存在であるのかについて、自分がどう感じているのかを言います。
自分で自分のことをどう評価しているかとも言える自己価値は、私たちそれぞれの個人の気持ちだけの問題で終わるのではなく、人といい関係を築いていくために大変重要なものです。
私たちは自分に愛される価値がないと思っていると、人から親切にされたり優しくされても、それが相手からの愛であると認識できないことがあります。
まさか愛されるだろうと思っていないので、Aさんのように、最年少だからこそみんなが可愛がってくれた、などのように、愛ではない別の理由で自分は大切にされているに違いないなどと、愛される理由を誤解してしまうのです。
すると、その理由がなくなったとき、例えば後輩が入ってきて自分が最年少の女性ではなくなったときに、もう自分は大切にされないだろうと思ってしまうのです。これがAさんの居ても立っても居られない気分の正体なのかもしれません。
そして自分の存在を認めてもらい続けるためには、何か別の事で補わなければならないと考えたりします。
Aさんは、最年少で居続けることはできないので、その代わりに今後は人一倍仕事をし、どんな残業もやって、みんなに認めてもらうしかないかと考えているところだと言います。
仕事を一生懸命にすること自体は良いことかもしれませんが、何かをしないと愛されないと思い、その埋め合わせのために仕事をするというのは、行動動機が「怖れ」であると言えます。
すると、仕事の手を抜いたら大変なことになってしまうという強迫観念がつきまといやすいので、体や心に支障が出るまでやめられないようなハードワークにつながることも考えられるのです。
自己価値を高めると、特別なことをしなくても自分は人に受け入れられ、愛される存在だと思えるようになります。
ところが、そうなるためには、無条件で人に愛される経験がたくさん必要だと思い、それは現実的ではないと感じるかもしれません。
Aさんもそうですが、実はすでにその経験をしているにもかかわらず、本人がそのことに気づかないことが問題なのです。
愛されているときに、それを愛であると感じられるようになることが必要と言えます。
私たちは、依存的な立場で愛されようとすると愛を感じられず、自ら愛そうとすることで愛が感じられると言われています。
つまり何かを得ようとしてではなく、無条件に誰かに与えようとするような、愛からの行動動機が大切なのです。
Aさんはしばらく考えてからこう言いました。
「私が先輩たちにやってもらって嬉しかったように、今度入ってくる後輩に、優しくしたり、色んなことを教えてあげたりしようと思います。」と。
「でも、そんなことくらいでいいのかな。」ともAさんは言いました。
そんなことは、言われなくてもやるつもりだったというのです。
愛からの行動動機とは、何をするのかではなく、どういう思いでそれをするのかが重要です。人に与え続けることで、Aさん自身も、特別な理由なしに愛されていたことに気づくようになるでしょう。
そして、自分とは愛されるにふさわしい存在であることを受け入れていかれるのではないでしょうか。
(完)