春を待つ心

私が昔から大好きな花があります。

「オオイヌノフグリ」という花で、どなたでもきっと見たことがあるかと思いますが、冬の終わり、早春のまだ寒い頃に、道端のちょっとした陽だまりに群れて咲く小さな青い花です。

よく晴れた青空と同じ色をして、空を見上げて咲いています。

見た目がかわいいので、摘んで持って帰ろうとすると、ぽろりと散ってしまうのですが、強い風が吹いてもプルプルふるえながら咲いている強い花です。

その姿を見ると、けなげな感じがするのと同時に、「もう春だ!」と思って嬉しくなります。

私は日照時間が短いのが寂しくて、冬が苦手なのです。
それなのに、季節の中で冬がいちばん長いと感じてしまうのは、私だけでしょうか。
それだけに春が来るというのがとても楽しみです。

祖母が生前、「秋は上から。春は下から。」と言っていました。
「秋の紅葉は山の上から始まって降りてくるけれど、春は足元から春になってだんだん山を登っていく。」
という意味のようです。

確かにオオイヌノフグリやタンポポなど、春は足元で見つけるのが先かもしれませんね。

* * *

他にも春の情景で私が好きなものに、奈良の春があります。

私は東京生まれの東京育ちなのですが、奈良が大好きです。

奈良には親戚がいるわけでもなくて、小学校の修学旅行以来、何十年も行ったことがなかったのですが、10年くらい前にたまたま法隆寺の本を読んで、そうだ行ってみようと思い立って1人旅をしました。

そこからすっかり奈良ファンになってしまい、コロナ禍になる前は毎年、多い時で年4回行ったりしました。
何度も行っていると、自分の好きな季節や好きな場所ができてきます。

奈良の大神神社という由緒ある神社のふもとに小さな穏やかな集落がありますが、空き地の草むらいちめんに真っ青に見えるほどたくさんオオイヌノフグリが咲くところがあります。
雑草のような花が咲くなんて、名所ではないけれどとても美しくて大好きな場所です。
でも、私が最初に奈良に行こうと思いたったころ、私の人生の状況は決して良いとは言えませんでした。

両親が介護の果てに相次いで亡くなってしまい、仕事もうまくいかず、30代で離婚した私は50歳を過ぎても家族もなく独りぼっちでした。

寂しくて冷たくて真っ暗な気持ちのところに、小さな灯のように見えた恋愛は、相手に他にも女性がいたことが判明して、最後の人生の灯りが消えたような気持ちでした。

そんなとき、ふと思い立って奈良に行ったのでした。

青い花いっぱいの道端で、私は彼に電話しました。
ただ「すごく美しいよ。」ということを伝えたかっただけだったのですが、電話に出た彼は上の空でした。
たぶん、近くに他の女性がいたのでしょう。

電話を切った私はやりきれないみじめな気持ちで歩き出しました。
そして「2度と連絡するのをやめよう」と心に決めました。

彼を変えることはできないんだ、私が変わるしかないんだと思いました。
でも自分のことなら変えられるかもしれないと思うと、ほんの小さな希望が湧いたのです。

そして東京に帰って、なんとか自分を変えたい、人生を変えたいと思って心理学の勉強を始めました。

心理学の勉強を始めたからと言って、あっという間に人生が変わったわけではありませんでしたし、私には2度と良いこと、楽しいことなんかないんじゃないかと思ったこともありました。

それでも、自分の心の癖に気付いたり、それをどんな風に変えていきたいのか夢を描いたり、仲間とそれを共有したり励ましあったりしているうちに時は流れていきました。

* * *

冬の吹雪の中にいると、穏やかで温かくて静かな春が来るなんて、信じられないことがあります。

それでも。
嫌でもまた春はめぐってくるのです。

ゆっくり霜は溶けて、オオイヌノフグリは咲いてくれるのです。
葉っぱ1枚もなく、枯れ木のように見えた桜の幹にもまた満開に花が咲きます。

もう行き止まりということはないのだと今は思います。
変化はきっとやってきます。

悩みの中にいて、同じことをぐるぐると考えているとき、頭の中に登場する人物はたいてい1人か2人かもしれません。
でも、現実の自分の人生をよく見ると、本当はたくさんの人がいるのです。

見ようと思って見ないと、オオイヌノフグリみたいな道端の小さな花は見過ごしてしまうのと同じです。

もう彼しかいないと思っていた私の心には、いつしかたくさんの人たちがいました。

一緒に奈良に行ってくれる人。
東京で「いってらっしゃい」と言ってくれる人。
奈良で私を迎えてくれる人。
今度は私も一緒に行きたいと言ってくれる人。

そんな人たちと迎える春は穏やかで和やかで楽しいです。

今がいちばん寒い季節と思ったら、実は春はもうすぐそこです。
今苦しいと思っている方も必ずまた笑える日が来ます。

もうすぐ3月。
「奈良のお水取りが終わると春が来る」と言われています。
東大寺の二月堂で大きな松明を燃やす、あの行事です。

今度は奈良のお水取りを見に行きたいなあと思っています。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

離婚やハードワークによる鬱、親の介護など、さまざまな経験をしてから心理学を学び、【心が変われば、いつからでも人生は変えられる】ことを体験した。企業の人事や人材サービス会社など、人に関わる仕事歴30年。その人らしさを大切にし、新しい希望を見出すためのサポートをモットーにしている。