自分から与えることが、幸せな流れにのるための最良のコツ
「良い流れが来てくれました」
「上手くいく流れに乗れました」
成功した人や、幸せをつかんだ人がこんな言葉を語っているのを聞いたことはないでしょうか?
皆さんも「流れに乗っているな」とか、「今は流れが悪い」など、感覚的に感じたことがあるかもしれません。
良い流れをつかむための動画や本でコツを学んだ人もいるかもしれませんね。
ただ、どんな流れが来ていても、それをうまく活かせなければ望むものが手に入るのが遠ざかってしまいます。
人生を幸せなものにするには「この流れをどのように活かすか?」が大切な要素のようです。
■人生には様々な流れがある
たとえば、私たちの身体・健康を例にとると「血液の流れ」がありますよね。血流が滞ると病気になったり、身体に不調がでることがあります。
「お金」も流れるものと言えますね。私自身、金融の世界にいましたが“マネーフロー”という言葉あるくらい「お金の流れ」を捉えることは大事です。
お金の流れの無いところでどんなに頑張っても、ビジネスが上手くいく可能性は低いですからね。
「人の流れ」も大切です。人が多く流れている場所には、面白いものが集まりますし、自然と活気が出ます。
そしてパートナーシップでは「愛の流れ」を感じられます。
「この人からはいつも愛が流れ出ている」そう感じる人は間違いなく魅力的でモテますよね。
お互いに愛が流れている、愛が循環しているカップルは幸せで満ち足りているでしょう。
逆に言えば、パートナーシップで問題が出てくる時は、この「愛の流れ」がどこかで滞っているからだと言えます。
私たちがパートナーと険悪になる理由の多くは「私はパートナーから愛されていない」こと。「相手から愛が流れてこない」と感じるからです。
心の中が“愛の枯渇状態”のように感じてしまい、原因を「パートナーが愛してくれないからだ!」と思ってしまうのです。
ですがその時、自分がパートナーに愛を流しているかと言うと、たいていの場合、愛を止めてしまっているんですね。
愛の枯渇状態をもたらしている本当の原因はここにあるようです。
■執着は失う怖れがつくっている
こんな想像してみてくださいね。
あなたの心の中に大きなダムがあると思ってみてください。そこには愛という大量の水が一杯に溜まっています。
でも、もしあなたが愛という水がなくなることを怖れていたら、ダムの水門を開けて流すことができないんです。
なぜかというと「私のダムにはどこからも水(愛)が入ってこないから・・・」と思い込んでいるからです。
私たちは「愛が流れてこない」ことがとても怖いようなのです。だからこそ溜め込んだものを手放せずに執着したくなるんですね。
余談ですが、昔のパートナーに執着してしまうのはこれが理由なんです。
「彼(彼女)からだけしか、私には愛が流れてこないから・・・」そう決めつけているので、昔のパートナーからもらうことばかり考えてしまうんです。
これも心が愛の枯渇状態になり、執着になるのです。
抱え込んでおこうと思えば思うほど、私たちは「失う怖れ」を感じます。すると、いつも不安が心の中を占めるようになります。
執着をしてしまう多くの人が、抱え込み、独占したくなるのは、この「失う怖れ」を感じたくないからなのですが、実際には欲しいものの流れを止めてしまうために、安心も平穏も感じられずに、より不安が大きくなってしまいます。
■あなたは流れに何を乗せたい人?
もし、あなたが自分の心のダムにいつでも水(愛)が入ってくると気づけたら、水門を開けて愛を流すことに不安を感じることはないですよね。なぜなら、愛が無くなることはないと分かっているからです。
あなたの流した愛によってパートナーは満たされますし、周りの人も喜んだり、助かったりして、感謝されることもあるでしょう。
あなたの流した愛が、周りの人たちに行きわたり、その人がまた別の誰かに愛を流している場面を見ることもあるでしょう。
「人の笑顔を見ることが幸せだったんだ」
「自分にも誰かを幸せにすることができる」
そう実感できたら嬉しいですし、自信になりますよね。私たちは愛をもらうこと以上に、愛を与えることに大きな喜びを感じるようなのです。
あなたが自分から愛を流しているうちに、自分の心のダムにも誰かの愛が流れ込んでいることに気づけるはずです。
その時、私たちの人生は常に自分から周りへ、そして周りから自分へと循環している流れに気づけるんですね。
意識していてもしていなくても、私たちは様々な「流れ」に「何か」を乗せています。
あなたが人生を通して感じたい幸せも、欲しいものも、満たされたいものも、自分から与える(流れに乗せる)ことで、巡り巡ってあなたにもたらされるんですね。
あなたは何を人生の流れに乗せて与えたい人ですか?
与えられる自分になる意欲を持てた時、じつはその瞬間に「幸せの流れ」に自分が乗っていることに気づけるのです。
(完)