昨年2021年の冬、私は実の父親と22年ぶりに会いました。
父親を探し、会うまでの私は「別に会わなくていい」と思っていました。
そもそも住所も電話番号も、お父さんに関する情報がない状態で、どうやって会うっていうの?
実のお父さんに今更会ったところで意味があるわけじゃないし、20何年も経ってるし、顔も姿も思い出も覚えてないし。
それに、私、お父さんに捨てられたんだし。
こんな思いの数々から実の父親と会うことに対し、凄く消極的になっていました。
でも、不思議なんですよね。
私がどんなにどうでも良くても、どんなに消極的でも、住所も電話番号も何にもわかんないのに、周りの人は「会いに行ったら?」と言ってくるんですよ。
私としては、凄く頭に来ていました。
「どう会えっていうの?」
「他人事だからって、軽々しく言いやがって。」
でも、これまた不思議なんです。
私が凄く頭に来ていても、周りの人たちは「それでも、会ったほうがいいよ」って言うんです。
んなこと、分かってるんですよ。
会ったほうがいいことだって、もし会わないまま父親が亡くなったとしたら後悔することだって。
でも、どうしても嫌なんだよ。
それでも、こっちの気も知らずに夫や母親、祖母、お世話になっているカウンセラーさん、友達、みんなが「会ったほうがいい」って言うんです。
そんな周りの声に耐えられなくなった私は
「そこまで言うなら、とりあえず父親の行方を探すよ。」
「会うとは言ってないよ?行方を探して、手紙を送る、それでいいでしょ。」
と、手紙を送るために父親を探し始めました。
*
日本では『居場所のわからない親を探す方法』があります。
自分の戸籍謄本から親の本籍をたどり、親の本籍地の役所から「戸籍の附票」を取得する。
戸籍の附票には親の現住所が載っています。
文章にすると簡単なのですが、結構大変なのです。
まず私は役所に行きました。
「あの、実の父親の住所が知りたくって。おまかせで、いくらかかってもいいんで、調べてもらえませんか?」
役所の職員さんに手取り足取り案内されながら、必要な用紙に記入して、待つこと1時間。
「お父様の本籍地は〇〇県〇〇市にあるので、そこの役所に連絡して、戸籍の附票を取り寄せてください。」
役所でのお会計が2400円、役所の駐車料金が1000円。
父親に手紙を送る時は領収書も一緒に送ってやる、と思いました。
そして父親の本籍地がある役所に連絡し、戸籍の附票を取り寄せ、やっと手元に父親の住所がわかる書類が届きました。
父親の住所がわかった私は早速、可愛いレターセットを買いに行って、帰宅直後に手紙を書き始めます。
いつもより丁寧な文字で、誤字をしたらわざわざ書き直して。
やっと書き終えた手紙をレターパックに入れて、すぐにポストに投函しにいきました。
レターパック、便利なんですよ。
レターパックに記載されている追跡番号を、日本郵便さんのサイトで検索するとレターパックが今どこにあるかわかってしまうんです。
投函した翌日、日本郵便さんのサイトでレターパックの居場所を確認すると“ご不在のため持ち戻り“と書いてありました。
ああ、仕事で受け取れなかったんだなぁ、でも再配達を依頼するよね。
そう思って、一週間、毎日何回もサイトを確認しますが、やっぱり“ご不在のため持ち戻り”。そのうち、父親宛のレターパックが手元に戻ってきました。
もしかして現住所に住んでない?
長期出張?入院?
嫌な想像が浮かんできます。
いてもたってもいられなくなった私は、夫と母に
「父親の家に一緒に行ってほしい」
と頼んで、父親の現住所に直接行ってみることにしました。
父親の家の下に車を停め、窓越しにベランダを確認すると部屋の電気がついてる。
意を決し、勇気を振り絞って、私は父親の家に伺うことにしました。
*
インターホンを押して、部屋の扉をコンコンとノックします。
すると扉が開いて、男の人が現れました。
不思議そうに私の顔を見た後、嬉しそうに目尻を細めたのです。
「あの、るなです。」
「お父さんです。」
22年ぶりの再会を迎えた親子の会話にしては、とてもあっさりしているものでした。
でも、なぜだか凄く嬉しい気持ちになりました。
お父さん、私を見て、嬉しそうに笑った。
お父さん、第一声が「お父さんです。」だった。
お父さん、私のこと忘れてなかった。
*
あっさりとした再会の数週間後、私と夫、母と父、母方の祖母の5人でしゃぶしゃぶ食べ放題に行きました。
「お金は俺が出すから。」
お父さんの奢り、迷惑じゃないかな、お金大丈夫かな、と心配になりました。
「食べ放題のコース、好きなの選びな。」
「ドリンクバーつけていいよ。」
「好きなメニュー頼みな。」
お父さんって、こんな感じなんだ。
凄くむず痒くなりました。
気恥ずかしい私は全部に「大丈夫」と答えるだけ。
でも、お父さんも私と一緒なんです。
めちゃくちゃ恥ずかしそうにしているんです。
目線が全く合わないし、私に直接話しかけてこない。
そのくせ、チラチラとこちらを伺ってくる、しかも嬉しそうに。
それが凄く照れくさくて、ちょっと嬉しくもなりました。
でも一つだけ後悔があります。
それはしゃぶしゃぶ食べ放題を目の前にしながらも、緊張のあまり全く食べられなかったことです。
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心理学の講座でこんな言葉を耳にしたことがあります。
「私たち人間が一番恐れていることは“幸せ”になること。」
会いに行ったら?とか、会ったほうがいいと伝え続けてくれた夫も母も、祖母もカウンセラーさんも周りのみんなも、知っていたのかなと思います。
お父さんを探し、再会することで私が幸せになることを。
私が本当に恐れていたことは、お父さんに愛されていることを実感して、幸せになってしまうこと。
会ってみて愛や幸せを感じたら、また会いたくなってしまう。
お父さんはいないと信じて生きてきた自分が無くなってしまう。
だから会うことを避け続けました。
周りの言葉を無視し続けました。
それでも、夫も母も、祖母もカウンセラーさんも周りのみんなが私の幸せを応援し続けてくれた。
私以上に周りの人々の方が私の幸せを信じ、応援してくれていたんだ。
「私ってお父さんだけじゃなくて、みんなから愛されてんじゃん。」
そう実感して、とても嬉しく…となる前に照れくさくて、気恥ずかしくなりました。
後日談になりますが、お父さんに
「手紙送ったんだけど、知ってた?」
と聴いてみました。
すると、お父さんは
「うん、知ってたよ。でも恥ずかしくて受け取れなくってさ、ごめんね。」
と、申し訳なさそうに笑っていました。
お父さんも恥ずかしがり屋なんだ、と思わず笑ってしまいました。
やっぱり私は、お父さんそっくりな娘です。