「こどもに、どう接していいかわからない」
カウンセリングでも時々伺うお話です。
「本当はもっとお子さんのことを理解したいし、深い愛情や伝えたい思いがある、本当にいい親御さんなのだな」
と、私はいつも感じますし、実際にクライアントさんにもそうお伝えしています。
なぜなら
「こどもにどう接したらいいかわからない」
と、悩むくらい、
「本当だったらこどもともっといい関係でいれたらいいのに」
という思いがたくさんある方なのだなと、思うからです。
◼どんな時、こどもにどう接したらいいかわからなくなるのだろう
「本当だったら、ご自身としてはお子さんにどのように関わりたいですか?」
と、私は質問させていただくことが多いです。
「こどもにどう接したいいかわからない」
と、思う時、
「どのような接し方が正解なのだろう」
と、正解を探そうとされていることも多いようなのです。
◦子育ての正解と答え
子育ては、親子が一緒に作っていくものであり、もしかしたら正解というものはないのかもしれません。ただ
「どんなふうに本当は接したいと思っているか」
その思いのなかに「ご自身の答え」があると、私は思っています。
◼答えが見えなくなっているとき
お子さんの状況や性格、環境、ご自身の抱えているプレッシャーや疲労など、それぞれご事情などがあり、
「どう接していいかわからない」
と、思うにいたったのかなと思うのです。そして同時に、親御さんご自身が自信を失っていることも少なくありません。
「自分の愛はたいしたことないし、どこかで親失格なのではないか」
そんなふうに、どこかでご自身を過小評価し、自分を責め、無意識かもしれませんが、お子さんに近づくことを躊躇、遠慮しているのかもしれません。
◦あるものを、ないことにしてしまうのはもったいない
ないことにしてしまったお子さんへの思いや愛情、本当はたくさんありませんか。ものすごく、頑張ってきませんでしたか。睡眠も、ご自身の時間もほとんど自由にならない時期も過ごし、お子さんに愛情を注いできませんでしたか。本当はもっともっと、伝えたい思いがありませんか。
ご自身のなかったことにしてしまった愛情が、本当は「ある」ことに、ご自身が気づき、受け取ってあげること、承認してあげることが、とても大事なことなのではないかなと思います。
あるものを、ないことにしてしまうこと。それは、とってももったいないと、心から思うのです。
◼私にもある「こどもにどう接していいかわからないと思ったとき」
私は二児の母です。
第一子の娘がいるのですが、第二子の息子が生まれたばかりのころ、どうしても生まれたばかりの息子に目が行ってしまい、娘にさみしい思いをさせてしまったなと感じています。
そんな私自身も、第一子の長女です。妹が生まれて、
「妹ばっかり」
と、思い、すねていた時期があったのです。
だからこそ、息子が生まれても、娘にも今まで以上に愛を伝えて、接したいと思うのに、なぜかできないのです。
「どう接していいかわからない」
と、だいぶ悩みました。
◦お母さんのこと大好きだから、大丈夫。
ある時、相談していた友人に
「娘ちゃんはお母さんのことが大好きだから、大丈夫だよ」
と、言ってもらったのです。娘のけなげな姿を思い出し、本当にそうだなと、大量の涙がこぼれました。
私は自信をすっかり失い、ちっぽけに自分も娘も扱って、そして自分を責めるスパイラルに入ってしまっていました。
「もっと愛せると思っていたのに、ごめんなさい。親失格なのかも」
と、自分を責めることに忙しく、自分ばかり見て、娘のことを見ていなく、愛を止めていたということに気が付きました。
◼どんなお母さんも大好きだよ
愛を止めると、自動的に罪悪感を感じるようにできている私たち。なぜなら、そのぐらい、私たちは「愛したい」ようなのです。
自分を責めて自分ばかり見るのをやめ、娘を心から見たとき、娘はずっとずっと、待っていてくれました。娘の愛が、そこにはありました。
「どんなお母さんも大好きだよ」
無条件の愛を、私はこどもたちから学びました。
でも、これは私だけの話ではありません。
「自分の愛なんて、たいしたことない」
と、もし、どれだけご自身のことを責めていても、お子さんはそんなふうには思っていないのかもしれません。お子さんは、親御さんの大きな愛を見て、信じて、待っていてくれているのかもしれません。
◼立場や目線を変えてみる
「なかなかそうはいっても、こどもにどう接していいかわからない」
と、おっしゃる方もいるのかもしれません。
よかったらご自身の心に「優しく」問いかけてあげてほしいのです。
「お子さんが今、なにを感じ、どんな思いがあると、思いますか。お子さんと同じような思いや感情をご自身が感じたことは人生でありましたか。その時ご自身は、本当はご両親にどんなふうに接してほしかったですか。
例えば、抱き締めて、受け止めてほしかったですか。理解してほしかったですか。慰めてくれながらも、背中も押してほしかったですか。信頼して、適切な距離をとってほしかったですか。
『こんなふうに接してほしかった』ことをもし、ご自身のご両親が当時してくれたとしたら、どんな気持ちを感じていたと思いますか」
◦分かち合いたいものがあるのかも
その感じた感情こそを、ご自身とお子さんとで一緒に分かち合いたいのかもしれません。そして、ご両親にこんなふうに接してほしかったことを、今、ご自身とお子さんとで分かち合うチャンスが訪れているのかもしれません。
◼犠牲感がでてくるとき とはいえ、
「ご両親から欲しいと思ったけれども諦めた愛情や関わりを、自分自身がチャレンジする」
ということに、高い壁やハードルを感じる場合もあるのだと思います。私も、頭でわかっているのに、
「私だって、親から受け取っていない。なんで私だけが与えなければならないのだろう」
そんな思いが出てきたこともあります。
でも、その思い、実は当時の私の両親も感じていたのかもしれません。
両親も、本当は与えてあげたい思いがありながら
「与えてもらってきていないから、どう接していいかわからない」
と、葛藤していたのかもしれません。だとしたら、傷ついていたのは「私だけ」ではないのかもしれません。
「先祖代々傷つき、悩んできたことかもしれない。できることならこの負の連鎖をできたら私で終わらせたい」
私はそんなふうにも、思いました。
◦お子さんのなかに、幼いころの私がいるとしたら。
「お子さんのなかに、幼い私がもしいるとしたらどう接してあげたい?」
と、想像してみることが、一つの考え方なのかなと感じています。
お子さんにより添い、尊重することで、幼い頃の私も一緒に満たしてあげられるとしたら、どうでしょうか。お子さんとともに幼い私も一緒に育て直してあげていると、ひとつの考え方ですが、そんなふうに想像しながら接することで一緒に幸せになっていけるのかもしれません。
そして、当時の私たちの両親も、
「悩み傷ついていたのかもしれない」
と、今なら理解することもできるのかもしれません。望んだ愛情の形ではなかったかもしれないけれども、両親からもたくさんの愛情をもしかしたら与えてもらったのかもしれません。
ほんの一歩でも踏み出せたとき、たくさんの愛情を受け取ってきたこと、与えて来たことに気付き、失った自信も回復しているのに気付くのかもしれません。
「育児は育自」なのかもしれません。
◼積極的にケアを受け取ることで
とはいえ育児という24時間365日与える、つまりケアする側に立つことになります。ケアする方は、同時に積極的にケアを受け取ることも許してあげてほしいなと、思うのです。
◦ケアを受け取るとは
ケアを受け取るとは、好きなことをする、一人で頑張り抱え込みすぎず、誰かにお願いする、頼る、一人の時間を過ごす、相談する、のんびりするなどです。
本当にたくさんたくさん、今まで子育てにたくさん時間や思いを費やしてこられたことと思います。なのでぜひ、ご褒美をご自身にも与えてあげてほしいなと思います。
◦より幸せなつながりを感じられる親子関係
お子さんが本当にほしいのは、親御さんの笑顔かもしれませんし、なにか特別なものではなく、ただただお互いが「ありのまま」でいられる時間かもしれません。親だからと役割にはまらず、お子さんとただただ一緒に泣いてもいいのかもしれません。
より幸せなつながりを感じられる親子関係への、なにかのお役に立てることがあれば嬉しいです。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
来週は小川のりこカウンセラーです。
どうぞお楽しみに。