遠慮をするも愛、しないも愛、かもしれません。
自分自身の好きとか嫌いなどの思いをどれほど大切にしてきたのか、また人を愛するときに、どうすることが愛情表現であると認識しているのか、などの観点から、より生き生きと過ごせるようになる方法を考えます。
最近、Aさんの口癖は「つまんない」だそうです。
Aさんは人あたりが良く、友だちともいつも仲良くしていたそうです。
このところ感染症対策などで友だちと会うことが激減し、仕事の休みは一人で家にいることが多くなりました。
すると休日などの空き時間に何をしたらいいか分からず、結局テレビや動画を見て時間をつぶし、「この週末も何もやらなかった・・。」と自己嫌悪することもあると言います。
趣味などは特になく、やりたいことや行きたい場所も特にないので家にいるのですが、自分は何が好きで何をやりたいんだろう、などと考えることがあるそうです。
でも何も思いつかないので、たいてい「もういいや。」と考えるのをやめてしまうといいます。
とはいえ、好きなことがないということは、ウキウキすることもないので、「つまんない」とつい口から出てしまうそうです。
Aさんのように、一人になると途端に何をしたらいいのか分からなくなるという人がいらっしゃいます。
色々な理由があるかもしれませんが、その一つに、誰かと過ごすとき、いつも相手の意見に委ね、遠慮ばかりで自分の意見を言わない方であることがあります。
「今日どこに行く?」という話になっても決して自分の意思を表さず、すべて相手に合わせてしまうのです。
「自分の人生の中では誰もがみな主人公」という歌詞の、さだまさしさんの歌がありましたが、自分の人生の中でさえ、Aさんはいつも他人ばかりを主人公にさせて、自分は目立たない脇役でいいです、という態度を取っていると言えるかもしれません。
私たちは他人ばかりを優先していると、自分の好き嫌いが分からなくなることがあります。
分からないというのは、好き嫌いを感じることを自分に許していないと言えるかもしれません。
好き嫌いを感じることは人間として当たり前と言っていいことかもしれません。そんな大事なことを自分に許さないとしたら、そこには必ず理由があるものです。そしてそれは、大切な誰かのためであることが多いようです。
他人ばかりを主人公にしてきたとしたら、いったい誰のためだったのでしょうか。そのルーツを考えてみるといいかもしれません。
私たちは幼少期に、大切な誰かを大切に扱うために適切だと思った態度を取り、それがその人の「愛し方」となることがあります。
Aさんは言いました。「それならば姉かもしれません。」
Aさんには歳の離れたお姉さんがいるそうです。Aさんが生まれるまでお姉さんは一人っ子でした。Aさんが生まれると、それまでお姉さんに向かっていた大人たちの注目が、一気に幼いAさんに向かうようになったといいます。
両親や親戚からAさんがちやほやされているとき、いつもAさんは視界の端に悲しそうな顔をしているお姉さんを見ていたそうです。
それでも優しくしてくれていたお姉さんに、Aさんは当時自分が生まれてきたことが申し訳ない気がし、できるだけみんなの注目を、自分ではなくお姉さんに向けようと、幼いながら努力したそうです。
そしてお姉さんが食べたいもの、やりたいこと、行きたい場所があると言うと、いつも無条件で賛成し、それに従ってきたそうです。
Aさんは言いました。
「私は姉にしていたことを、そのまま他の人にもやってきたんですね・・・。」
つまりAさんはお姉さんとの関係から、自分が一歩引くという愛し方を手に入れ、そのやり方で周りの人を愛してきたと言えるのかもしれません。
しかし自分の好き嫌いが分からなくなってしまっていることを考えると、そのやり方が上手く行っているとは言えないかもしれません。子どもの頃に手に入れた愛し方は、大人になってからメンテナンスが必要になることが多いようです。
とはいえ慣れ親しんだ自分のやり方を変えることは難しいと感じるかもしれません。
そのようなときは、まずは、かつて一生懸命に相手に譲るという愛し方をしていた小さい頃の自分を、心の中で労ってあげるといいかもしれません。
子どもなりに、頑張って誰かを愛そうとしたその心意気は尊いものです。
そのうえで、かつて周囲の関心がAさんに集まったときでさえ、やさしくしてくれたお姉さんが、いまのAさんの状況をどう見るかAさんに想像していただきました。
お姉さんは、これまで通り我慢ばかりすることをAさんに望むでしょうか?それとも、Aさんが好きなものを好きと言えて、手に入れていかれることを願われるでしょうか。
ハッと気づいたように「後者です。」とAさんはおっしゃいました。
自分の意思を大切にすることが、実はお姉さんをも大切にすることであり、二人がそろって幸せになる道だと理解されたのかもしれません。これから少しずつ、Aさんは自分の人生の主人公として歩まれていくのかもしれません。
(了)