そのケンカのかわりにできること
こんばんは。
神戸メンタルサービスの平です。
恋愛初期のころ、私たちは精一杯背のびをし、自分のよいところをパートナーにアピールしようとします。
しかし、おつきあいが進んでいくと、一転、どんな自分でもパートナーがちゃんと受け入れてくれるのかを試すかのように、“いやな自分”をどんどん見せるようになります。
多くの人は、これを、「おつきあいに慣れてきたから」ということですませるのですが、じつは心理的に見ると、「少々のことでは、二人の関係は崩れない」と思えるような絆が、二人の間にできてきたからこそ起こることといえるのです。
恋愛初期ロマンスの時代は、パートナーのいちばん素晴らしい部分のみを見て、味わうことから成り立っています。でも、“かりそめの愛”などといわれるように、この時代はやがて終わります。
そして、どんなときにほんとうの愛情を感じられるかといえば、あなた自身が、“こんな自分は、だれにも愛してもらえない”と思っている部分を、パートナーがちゃんと見て、愛してくれるときなのです。
そんなパートナーシップに向かい、私たちは徐々に、自分の中にある闇の部分を見せていこうとするのですが、その時期、二人の間にはいちばんの危機が訪れます。
私たちの心の中には、自己嫌悪というものがあり、いつも、それを愛してくれるだれかを求めています。
ところが、自己嫌悪というぐらいで、自分では愛することのできない部分ですから、それを愛してくれる人がいるなどとはなかなか思えないのです。
すると、私たちは、それを「隠す」、「ごまかす」ということをするようになります。
なぜなら、その部分はけっして愛されないと思うからです。
しかしながら、隠したり、ごまかしたりしている間は、心に安らぎが訪れることはありません。
たとえば、容姿にコンプレックスがあって、それを美容整形で修正したとしましょう。
しかし、「悪い部分を隠すための整形」であるかぎりは、それによって安らぎを得ることはできません。
「整形したことがバレてしまったら、どうしよう‥‥」という恐れにとりつかれるばかりで、その思いが、安らぎとの分離をつくってしまうのです。
しかし、同じ整形でも、隠すためではなく、「自分がより美しくなるための整形」であったとしたら、「これまでよりも美しくなれた」という喜びや自信を得られ、人生をよい方向へと変えていくことも可能なのです。
多くの場合、私たちは、自分をあまりよいものだとは感じていません。
だから、「きっと愛されないだろう」という疑いの心をもって、愛する人を見てしまうために、その人の前で、とてもへんな態度をとってしまうこともあるのです。
たとえば、大好きな人の前で、ものすごく悪い態度をとってしまったり、大好きな人を無視してしまったりということは、だれもが経験していることでしょう。
これは、彼に愛されることを恐れているからではなく、「大好きな彼に嫌われたらどうしよう」という恐れがあるがゆえに、嫌われて傷つく前に、自分から愛を拒絶しているということなのです。
こういうことは、おつきあいが始まってからも、二人の間に何度も何度も繰り返されます。
そして、パートナーのほうが悪い態度をとっているとき、それは、「愛を求めている態度なのだ」と気づくことができたなら、あなたは彼を攻撃するかわりに、愛してあげることができるのです。
ところが、もともと、「自分はあまりよくないものだ」という概念が強いと、彼の態度を見たあなたは、「ほら、やっぱり自分は嫌われた」と誤解してしまうことがよくあるのですね。
パートナーシップというものは、「相手に愛してもらおう」とすることで、うまくいかなくなることがとても多いのです。
そのかわりに、もし、あなたが、「パートナーをどう愛してあげればよいのだろう?」と考えることができたなら、ケンカやののしりあいはぐんと少なくなるはずです。
そして、「私をほんとうに愛してくれるのは、この人以外にいない」と思えるようになれるのです。
それには、少しばかりの勇気と、「たえず愛を選択しよう」という決意がいるかもしれません。でも、それに対する配当金は、とても大きいものになるはずです。
では、来週の恋愛心理学もお楽しみに!!