文鳥を飼っています。
鳥かごから出して室内を飛ばせる「放鳥」の時間には
ひとしきり飛び回ると、人間の肩や頭に集まってきます。
私が台所の後片付けでウロウロと歩き回る間も肩に乗ったままで
かがんだりしゃがんだりするたびに、グラグラしながら、ずっと一緒にいます。
別の部屋へものを取りに行こうとすると
「どこ行くの!」とばかりにチュンチュンと大きな声で呼ばれるし
部屋に戻ってくるまでドアノブにとまって、廊下の先の私の方に向いて呼んでくれます。
なつき始めて最初のうちは
「すぐ戻るのに~、一瞬でも離れるのが嫌なの?可愛いなぁ ε-(´∀`; )」
と思って
私やパートナーのことが大好きなんだな~
私たちがあの子たちをカワイイと思ってることが通じてるのかな~
と、キュンキュンしていました。
文鳥の飼い方を解説したサイトにも
「文鳥はとても愛情深い鳥です」と書いてあることもあって
愛されてるなぁと感じていました。
でもある日、ちょっと待てよと思ったんです。
野鳥の群れって、1羽が飛び立ったら、群れ全体一斉に飛び立ちますよね。
アレか。
鳥たちは、人間たちも含めて自分の群れだと思っていて
本当は一緒に動きたいけど、知らない部屋には怖くて行けないから
「勝手に群れから離れるなよ!」とチュンチュン文句を言ってるのかもしれない。
な~んてね。
愛情ってワケじゃないんだ~?本能ですか?群れですか?
と思った時、一瞬「なーんだ」と思ったのですが
私も群れの一員だと思ってくれているのだとしたら
それって結構すごいかも、と思い直しました。
だって、文鳥の2000倍ぐらいの大きさなんですよ、私。
人間がゴジラを家族扱いして、ナデナデしているようなものです。
「ペットと飼い主」ではなくて、同じ群れの仲間だと思っていて
もしかしたら、私のこともデッカイ鳥だと思っているのかな、と思ったら
本能だろうが何だろうが、それは愛って言っていいよな、という気がしてきました。
群れって一心同体、一蓮托生だもの。
「ワンネス」ってこんな感じかな?
人間は体も成長するけど、心も成長していて
体と違って、心の成長は大人になってもずっと続いていて
そのずっと先にあるのが「ワンネス」という境地だといわれています。
直訳したら、「一つであること」?「一体感」?
個人なんだけど孤独じゃなくて、つながりがあって
自分が大きな全体の一部だって感じられるっていうことなのかな。
な~んてね。
個性が違って、ケンカしながら、ワチャワチャしながら
踏んづけあったり奪い合ったりもするけど
なんだかんだで仲の良い鳥たち。
人間は鳥ほど簡単ではないですけどねー。
相容れない人っているし
どう考えても絶対向こうが悪いとしか思えないことも、多々ありますもの。
それでも許したり愛したりしなくちゃいけないの?思うと
ムリムリムリって思いたくなるけど
一蓮托生の大きな群れのメンバーなのだとなら、思えそう。
全体の中で、お互いの役回りがあるんだなって。
愛しにくい人を愛する意欲を持ちづらいときには
鳥の群れを思い出してみたら良いのかもしれないな。
悪い鳥もズルい鳥も群れの一員で、それも含めて全体で生き延びるんだもんな。
どんなに正しい鳥だって、一羽では生き抜けないものな。
そんな事を考えているうちに鳥は遊びに満足して
私の手の上でおネムになっていました。
この状態になると、素直にケージに帰ってくれます。
文鳥との楽しいひと時に、ちょっと壮大な事を考えてしまったのでした。
鳥たち、また明日遊ぼうね。