コミットすると、自由になれるよ
こんばんは。
神戸メンタルサービスの平です。
先週の続き、「コミットして自由になる」の後編です。
「この人と、一生やっていく」と決めると、「やっぱり、ほかの人のほうがいいんじゃないかな?」とか「もっといい人がいるかもしれない」という疑いの発想から解放され、そして、「いまのこのパートナーと、どうやっていくか」ということが最大の課題になります。コミットを機に、「一人で生きてきた人生」から「二人で生きる人生」に変わるわけです。
たとえば、あなたが一人で車をドライブしていると思ってくださいね。当然、あなたはあなたの好きなところに行ける自由がありますし、だれもそれを止めません。
しかしながら、あなたは旅先で一人でごはんを食べなければならないわけですし、素晴らしい感動を分かちあう人もいないわけです。
結婚するということは、あなたの車の助手席にあなたのパートナーが座るということです。
私の場合、「私が一人乗りのドライブで感動した場所を、この人にも見せてあげたい」という気分になり、そして、その感動を彼女も感じているのを見て、とてもうれしくなりました。
そして、こんどは、「二人でどこに行こうか?」と考えるようになり、まったくドライブというものが変わってしまったかんじがしました。
たしかに、勝手気ままに好きなところにいけるという自由はなくなりましたが、それですら、隣に座っているうちの奥さまが「好きなところに行っても、文句は言わないよ」という人ならば、まったくなんの制限もないわけです。
実際、うちの奥さまは私がしたいということに、いままで一度たりとも、「やめときなさい」と言ったことはありません。
感情を分かちあえる喜び。それは、ポジティブなものであろうがネガティブなものであろうが、それだけは残るわけです。
そして、二人の間には、二人でつくりあげてきたものも残ります。
一つのシンボルとして、それは子どもであったり、その成長であったりするわけですが、一人で生きてきた生き方とはまったく違う、二人の生き方が登場するわけです。
さらに、結婚してからしばらく、私は経済的なこと‥‥、つまり、自分の財布は自分で握っておりました。
心のどこかでまだ、これを手放してしまうことがものすごく恐かったのです。
経済的に制限されてしまうと思っていたわけです。
もちろん、先ほども言いましたように、うちの奥さまは、私が欲しいものを制限するタイプの人ではありませんが、私の中にある罪悪感が奥さんに投影していたわけです。
しかしながら、私の心理学の先生からの提案もあり、その財布もいまや完璧に握られておりますが、私はまったく自由なわけなのです。
たとえば、私が「浮気をしよう」、「愛人でもつくりたい」と思っているならば、奥さまに“内緒の経済事由”が必要となるわけです。
しかし、二人の目標のためにがんばっているわけですから、どう使ったかを奥さんに知られようが、また、携帯電話を見られようが、私はまったくどうでもいいわけです。要は、秘密がないわけですから。
この、「ぜんぶ知られる」ということの自由さは、たぶん、親子関係で私が子どものころ、親に感じていた安心感に通じるものだと思います。
私たちは大人になってから、自分のいろいろなものやいろいろなところを隠して生きてきたわけですが、反対に自分をぜんぶ知って受け入れてもらうというのは、ものすごく自由です。
うちの場合は、私の財布だけではなく、うちの会社の財布もうちの奥さまが握っているので、みなさんよりも、より自由なのかもしれません。
人からは、「会社の経理まで奥さまに握られ、金の出入りまで監視されるとは不自由ですね」と言われたことは何度もありますが、そのようなことを感じたことはまったく一度もありません。
なにかやましいことをしようと思った度合いだけ、私は制限されて不自由になっていると感じるわけですが、「奥さまとやっていく」ということを決めている状態であれば、まったくの自由なわけです。
そうして、奥さまも、私との絆を感じてくれている度合いだけ、私を放し飼いにしてくれるわけです。
私は長い間、“放し飼いのペット”として、いろんなところに自由に飛び回る暮らしをしていますが、いつも必ずおうちに帰ります。
考えてみてください。放し飼いにしていても、夜になると必ずおうちに帰ってくる小鳥がいるとしたならば、カゴの中に閉じこめておこうとする人はいませんよね。
これは、相関関係なのだと思います。
「コミットメントすればするほど、自由になれる」。
これは私の先生が私に教えてくれたことですが、いまは現実生活として、そのことを体感しています。関西では“ニコイチ”とよく言いますが“二人で一つ”なのです。
そして、そう生きることができれば、まったく違う人生があなたを待っているようですよ。
では、来週の恋愛心理学もお楽しみに!!