私たちは手に入れたいもの、なりたいものにしか嫉妬しない
今日の心理学講座は『近藤あきとし』が担当します。どうぞよろしくお願いします。
■嫉妬と向き合うために
嫉妬はできれば感じたくない感情ですよね。しかしながら嫉妬を感じたことの人はいないでしょう。それくらいポピュラーでありながら、私たちを最も嫌な気持ちにさせる感情の一つが嫉妬心ではないでしょうか。
たとえば「いつも面倒を見ていた後輩が上司に気に入られて先に出世をした」
あるいは「一緒に婚活をしていた友だちに先にパートナーができて結婚が決まった」
家族間でも嫉妬はあります。「妻は仕事でどんどん実績を上げて楽しそうに成功しているが、なぜか素直に応援できない」「娘と夫が相思相愛で仲良くしているのを見ると、私は邪魔者みたいに感じる」
パートナーシップでは「彼は帰国子女で仕事は超一流企業のエリート。でも私は・・・」「彼女は人気者で誰からも好かれるのに、僕は人と関わることが苦手で・・・」といった嫉妬を感じる場面もありそうです。
私もああなりたいのに!と感じている分だけ、欲しいものを手に入れた相手を見るとつらくなってしまいます。重たいもので胸が詰まってしまうような息苦しさがあったり、グツグツと煮えたぎるような悔しさで居ても立っても居られなくなってしまうくらい、どうしようもなく心が痛むのが嫉妬という感情です。
「なんであの人は持っているのに、私には手に入らないの?」そう思うと妬ましいやら、うらやましいやら、さらには自己嫌悪も合い混じって心が乱されるのは本当にしんどいものです。
あまりに苦しいので、「だったら欲しいと思わなければいいんだ!」と思って無理やり興味のないフリをしてみたものの、かえって逆効果になってしまい余計に相手が気になってしまう、なんて経験をした人も多いのではないでしょうか。
今回はそんな嫉妬心とどう向き合い、つき合っていくかをお伝えします。
■欲しいものを「持たない」と決めたのはなぜか?
じつは、私たちは自分に手に入らないと思っているもの・興味がないものを「欲しい」とは決して思わないんですね。
欲しいと願っているのに、手に入らない。この時に私たちは嫉妬を感じるのです。
つまり「あの人は持っているけど、私には無い」という気持ちが土台にあるわけですが、ここには“ある思い込み”があると言われています。
それは、「持たない」という意志です。
「持てない」ではなくて、「私は『持たない』」と決めているんですね。
なぜかと言うと、たとえば、もしあなたが“人気者でモテるタイプの友人”に対して、「悔しい〜!うらやましい〜!」と嫉妬しているとしましょう。
その場合、嫉妬が大きければ大きいほど、あなたは「自分には人気がない。だからモテない。」という信念を持っているはずです。
すると、その信念によってあなたは人気者がするような態度、ふるまい、言動を自分に許さないようになります。
その理由は「だって、私はモテないんだから。人気者がするようなことをしたって意味ないじゃない。」こんな思いが裏にあるからです。
ここから分かるのは「なぜ私は人気者・モテるという要素を、自ら『持たない』と決めているのか?」を嫉妬の感情が教えてくれているということです。
■嫉妬が教えてくれるのは、自分らしく生きるヒント
私たちは「本当に欲しい」と願っているものがあり、それが大切であればあるほど、手に入らなかった時に心が傷つき過ぎてしまうと感じます。
すると「私があんな風になれるなんて、あの人と同じものを持つことができるなんて、あり得ない」ということにしてしまうようです。
それだけに欲しいものを持っている人を見ると、とても嫌な感じがして、できるだけ遠ざけたいと思います。また、自分も「持たない」ことにするのです。
つまり嫉妬で苦しい時には、相手のようになりたいと思いながら、同時にあんな奴は嫌だという葛藤がある時なんですね。
ここで見落としたくないのは、抱えている葛藤に気づき、越えていけることを教えてくれるのも嫉妬だということです。
私たちが嫉妬をしているのは、相手と同じそのままになりたいわけではなくて、嫉妬を感じている要素・エッセンスを自分の中でも開花させたいと願っているからではないでしょうか。
うらやましさを感じる相手と同じ「魅力」「素晴らしさ」が、自分の中にもあるからこそ相手の価値が見える訳ですからね。
欲しい要素が手に入った自分になった時に感じたい感情、それが私たちが本当に欲しいもののようです。
嫉妬は苦しいですが、自分の中にある「魅力」「素晴らしさ」の種を開花するために出てくるのだとしたら、いったい自分が誰のどこに反応しているのか?何を「持たない」ことにしてきたのか?じっくりと見極めてみる意欲を持ってみたいですね。
もし何を手にしたいかが分かってきたら、今度はそのエッセンスを自分らしく表現しながら生きるためのチャンスが来たと受け止めてみてはいかがでしょうか。
(完)