夫婦のロマンスをあきらめている原因は「親がそうじゃなかった」から。
しかし、本当にそうなのでしょうか。
たとえロマンスを感じあえる夫婦ではなかったとしても、そこには仕方のない理由や状況があります。
また、子どもの目から見たらロマンスを感じあえる夫婦でなかったとしても、親にとってはロマンスを感じている場合だってあるのです。
このことに気がついた時「ロマンスのない親から生まれた自分には、ロマンスのある夫婦は作れない」という自己イメージを書き換えるチャンスになります。
前回は、娘が恋愛に興味がない理由が自分たち夫婦がすれ違っているからだと気づき、夫婦の関係性を変えていったら、娘の恋愛に対する考え方も変わりそう、というお話でした。
このお話は、今回の4回シリーズの第一回目でお話した「夫婦のロマンスのモデルが親だから」という話をよく表しています。
娘の位置に自分に当てはめてみれば、よくわかるのですが、私たちは普段気がついていないだけで、親が夫婦としての接していた通りに、結婚した今の自分の接し方を真似しているのです。
しかしながら、育ってきた過程で見続けた夫婦のモデルケースが親だったから、その真似を自然としている、というだけではありません。
ロマンスのある夫婦ではなかった、と感じていると、自分の価値を見誤ってしまい、自分もロマンスのある夫婦にはなれない、と感じてしまうのです。
私たちは、親に対して失望していると、その度合いだけ、自分には価値がないと感じてしまいます。
「あの親にして、この子あり」という言葉がありますよね。
この言葉が表している通り、私たちの心は、親の悪いところは自分に受け継がれていると感じてしまうのですね。
また、愛し合っていない夫婦から生まれた自分は価値がないんだ、と感じている場合もあります。
この感覚はほとんどの場合、無意識に持っていもの。
親の悪いところが似ていて嫌だ!と自覚があっても、その範囲と大きさが大きい場合が多いのです。
つまり、わかりやすくにているところと、そんなところが似ているとは思わなかった、と感じるところがあるということなんですね。
結婚や夫婦のイメージは、こうした「そこを似ていると感じていたとは」に含まれることが多いもの。
特に反面教師でがんばってきた場合は、より分かりにくくなります。
親みたいになってしまう怖れを隠すために努力しなければとがんばってきた、という心理が隠れているからなのです。
しかしながら、ここには大きな誤解があります。
その誤解を解く切り口は「親と自分の世代の違い」と「親にも何か理由がある」という2つ。
親と自分の世代の違い
親と私たちは生きている時代が違います。
当然、価値観や社会的な背景が違ってますよね。
親の世代というのは、今のように「夫婦が人前でラブラブする」ことが恥ずかしい時代なのです。
世代によってはお見合いが多かった時代もありますし、少なくとも今とは恋愛の仕方も表現の仕方も違う。
「愛してる」なんて公言したり、人前でキスするなんてありえない時代だったり。
そう考えてみると「夫婦の会話がない」「ロマンスがない」のは、ある意味当たり前と考えることもできます。
「今の恋愛の尺度で見たロマンスがないからといって、夫婦にロマンスがないとは限らない」のです。
それを決められるのは当人同士だけ。
また、もしかしたら、夫婦水入らずの時にはラブラブしてる(この表現が古いかも)ことだってあるかもしれないですよね。
そう考えてみると、自分が親の悪いところを引き継いでいるとか、愛し合っていない親から生まれた自分は愛される価値がない、ということが変わります。
だって、それは子どもから見た夫婦像であって、当人同士が本当にどうなのかはわからないのですから。
古い恋愛・結婚観が悪いとは限りません。
第一回目でご紹介した「結婚した時が一番いい時だ」という発言も、見方を変えれば全く違った意味にも取ることができます。
日本人の美徳である謙虚さ。
それがいろんな問題を生んでいる部分もありますが、日本人の良さとして受け止めることは、自分の価値を取り戻すことにもつながります。
今が一番いい時、という言葉は、実は「夫婦の幸せの秘訣は、愛にあぐらをかかない」傲慢にならない、謙虚さを忘れないようにという教訓とも取ることもできる。
私も、自分で書いていて「こじつけじゃないか」とも思うんです。
けれど、こうやって違う見方をすることで、価値を感じていくことは大切だと思っています。
「親にも何か理由がある」という視点
・目に見えて親が喧嘩ばかりしていた。
・母がいつも我慢と苦労ばかりしていた。
こうした状況の場合はどう考えていけばいいのでしょう。
私は、カウンセリングで何千というケースのお話を伺ってきて、痛感したことがあります。
それは「人の言動には必ず『そうしざるをえない』理由がある」ということです。
良い態度も、悪い態度も、です。
しかも、悪い態度の場合、そこには「本当は悪い態度は取りなくない」という心理が隠れています。
どうやら人の心というのは優しさとか愛情が根本にあるようなのです。
喧嘩が絶えない両親。
けれど、それはお互いのことが嫌いだったから、ではないかもしれません。
例えば、父の会社が傾きかけていて、経済的に切迫していたために、二人とも余裕がなくて、喧嘩していたかもしれない。
嫌いだから、ではなく、仕方がない理由があったから、かもしれないのです。
母がいつも我慢と苦労ばかりしていた。
「お母さんは、こんなに毎日休む暇もないのに、あんたは遊び歩いていい身分だね!」
そう言われて申し訳ない気持ちになる。
でも、だったらそこまできちんと家事をやらなくても、手を抜いて休めばいいのに、と思う。
文句を言いながらも、自分の意思でやっている場合もあるのです。
もちろん、こんな単純な話では済まないような、本当に苦労して困難な状況で懸命に生きている方もおられるはずです。
けれど、連載第二回目の娘さんの話のように、子どもが勝手に親を不幸に思ってしまっている場合も、たくさんあるのです。
「親と自分の世代の違い」と「親にも何か理由がある」という2つの視点。
この視点で見直してみた時、私たちは新しい視点を持つことができます。
親は親の人生を生きている。
親にロマンスがなかった、不幸だったとは限らない。
そう感じられた時、自分の価値が戻っていきます。
「あの親にして、この子あり」
だったら、自分がロマンスのある夫婦を作ってもいいじゃないか。
この感覚に至る時、私たちの心の中にある「夫婦にロマンスはない」が「ロマンスのある夫婦」に書き換わるのです。