望んでいないのに優等生に見られてしまうには理由があります
今日の心理学講座は『近藤あきとし』が担当します。どうぞよろしくお願いします。
■優等生に見られたくない心理とは
こんな人がいると想像してみてください。
成績優秀で、態度も真面目、誰にでも優しくて、周りの評価も高い。
「出来が良くて頼りになるよ」「誠実で良い人だね」周囲のそんな声を聞くこともしばしば。
なんだか絵に描いたような良い人。優等生の姿が浮かんできそうです。
この評価を本人も納得して受け入れているなら何の問題もありません。ただ、そうはならない場合もあるのです。
周りから高い評価をもらってもなぜか居心地が悪く感じてしまい、心の中ではこんな声がグルグル回ってしまう。
「なぜか望んでいないのにいつも重要な役目を任されてしまう。」「どうして私ばかり重い責任を背負わされてしまうんだろう?」
カウンセリングでは、そんな悩みを抱えている人と出会うこともあります。
今日は、このような望んでいないのに周りから必要以上に優等生に見られてしまう心理を『コンプレックス』と『補償行為』という視点から解説します。
■隠したかったのはコンプレックス
もし皆さんが他の誰かに見られたらマズい、知られたくないと感じるものを持っているとしたら、まずは見られないよう用心したくなりますよね。
それが『コンプレックス』などの、自分の欠点や弱点だと思っている部分なら、できるだけ隠そうとなる気持ちは分かるのではないでしょうか。
この時、私たちがよくやりがちな方法は、コンプレックスとは真逆の行為によって見られたくないものを隠そうとすることです。
たとえば、以前こんな話をしてくれたお客さま(Aさん:仮名)がいました。
Aさんが小学生の頃、お父さんに持病があったため家にあまりお金が無く、家族は古くて狭い木造アパートに住んでいました。
ボロボロの部屋に住んでいるのを誰かに知られるのが、当時の彼にはすごく恥ずかしかったのだそうです。彼にとっては最大のコンプレックスになっていました。
学校の帰り道では、同級生たちに住んでいる部屋を絶対に知られないように、いつもアパートのかなり手前で友だちと別れて遠回りをして帰っていたとのこと。
そしてAさんはどうしたかというと、勉強をがんばり、真面目でみんなに優しいくて、周りから頼られる、記事の一番最初に書いたような人になっていったのです。
成績はトップクラス。生徒会に推薦され、部活ではキャプテンを指名されるなど常に責任ある役を任されるようになりました。社会人になっても上司からの信頼を得て周りよりも早く出世をしていきました。
ただ、彼はそれがあまり嬉しくなかったのです。彼の本音はこうでした「これ以上責任を背負わせられるのは勘弁してくれ」。
■補償行為の裏にあるもの
どうしてAさんがこれだけ認められて、引き立てられても嬉しいどころか、むしろ否定的な気持ちばかりだったかというと。
彼の当初の目的は、ただ自らの自己嫌悪している部分(コンプレックス)を誰にも見られたくないがために、優秀で立派な人間だというペルソナ(仮面)によって隠すことだったからです。
目立つような活躍がしたいわけでも、周りから評価されたいわけでもなかったのに、彼の想定以上に優秀さ真面目さが評価されてしまったのです。
私たちがコンプレックスを隠すために自分でない自分になろうとして、過度にコンプレックスを補う行動をすることを『補償行為』と言います。
補償行為の裏には「コンプレックス=ダメな自分」という感覚が常にあり、これを隠すことが目的になっているため、得られる最大の成果は「今日もバレなくてよかった」になってしまい心が満たされることはありません。
Aさんはコンプレックスを隠すための『補償行為』によって作られた優等生と言うペルソナが、予想外の評価につながり、想定以上の期待を背負ってしまう息苦しさを生んでいました。
ただ本人にとっては隠すことが目的だっただけに、本人の内面的な感覚と周りの期待や思惑に大きなギャップが生じてしまい、悩みをより深くしてしまったのです。
■「もう隠さなくていい」と自分に言うために
もし、皆さんにも「そんなつもりじゃなかったのに」という状況が続いているなら、そこには『隠したい何か』と『補償行為』があるのかもしれません。
とは言え、何かを補い埋め合わる行為は「隠してきた部分を知られたら誰にも愛されない」という不安と恐れが土台になっているだけに、すぐには止めることが出来ない場合もあります。
まずはゆっくりと自分と向き合う時間をとって、なぜコンプレックスを抱えることになったのかを紐解いていく機会を作ることから始めてみてください。
そして感じたことを信頼できる誰かに話してみたり、カウンセラーに相談するなど、他者に受け止めてもらい未完了の感情を解放することで、安全にこの問題を抜け出していけます。
「もう隠さなくてもいいんだよ」そんな優しさを自分に向けられたら、もうペルソナも補償行為を使わなくて済みます。
それは本来のあなた自身で愛される準備ができたということです。
(完)