誰かを助けたいという思いが強いと、相手の気持ちを感じすぎたり、苦しみを自分のもののように背負うことで、相手を助けようとしてしまいます。
また、自分が幸せだったり、相手ほどの苦しみがないと、そのことで罪悪感を感じ、自分の幸せを責めてしまったり、後ろ髪を引かれて幸せを楽しめなくなってしまいます。
しかしながら、このやり方では相手を助けることができません。それどころか、逆に、あなたを苦しませてしまったと相手を苦しませることになってしまうのです。
大切なのは、自分がまず幸せになって、自らがビジョンとなって楽しみ、輝く姿を見せること。
そして、こうした悩み、苦しみを持つこと自体が「優しさと愛情」の証拠であることを知り、自分の価値を自覚すること。
このやり方だと犠牲なく、その人の力を信頼して、その人自身が状況を変えていけるのです。
◎リクエストを頂きました◎
=======================================
私は、他人の苦しみ感情を理解しようと、自分が味わっているかのように想像します。すると、自分の気持ちも辛くなりますが確かに、一番相手の気持ちを理解してあげられる方法でもあります。
でも、同時に、自分は今楽なのに、相手はこんなに大変な状況でこんなにも苦しんでいる…という事に罪悪感を感じます。
何事も、相手や、はたまた関わっていない世間の誰かは私より随分厳しい状況にいて、私が楽でいる事に罪悪感を感じます。
幼少期、母子家庭で、毎日疲れて楽しそうでない母親は可哀想だと思っていて、母の苦労と、さほど苦労してない自分を比べていました。
どうして、自分と他人を比べてしまうんでしょうか?
=======================================
今回ご相談いただいた、自分と他人を比較してしまう理由。それは「優しさ・愛情が大きいから」というのが答えになります。
誰かを助けたいけど、助けられない、力になってあげられない。
そのことが苦しいし悲しいのは、優しさ・愛情の証拠です。
ですから、一番最初に気づく必要があるのは、そんな優しさや愛情を自分が持っている、ということです。
また、誰かを助けたいという強い思いを持てるということは才能です。
しかし、この才能は、なかなかうまく使えないのも事実。
理由は、犠牲と才能の区別をつけることが難しいからです。
犠牲なく、誰かを助ける方法は一つしかありません。
それは「自分が先に幸せになって、その姿を見た相手が、あなたをお手本にして、自ら幸せになっていく」という方法です。
これは山登りに例えられます。
あなたが家族と一緒に山を登っています。
あと少しで頂上にたどりつけそうになった時。
あなた以外の家族がもう歩けないとその場にしゃがみ込んでしまいます。
家族は、せめてあなた一人だけでもいいから頂上に登って欲しいと言いますが
あなたは家族を見捨てていけないので、家族を背負って登ろうとします。
しかし、そんなやり方で頂上まで登ることはできません。
結局、あなたも力尽きて、誰も頂上まで登れなくなってしまう。
これが犠牲のストーリーです。
あなたは家族を救えなかった苦しみにとらわれ、
家族はあなたを犠牲にしたという苦しみにとらわれます。
誰もが幸せになれません。
誰かを助けたいという優しさ・愛情は、その大きさゆえに、相手と同じ苦しみを背負いたくなります。
けれど、それをしてあげても、あなたの苦しみの度合いだけ、相手を苦しめることになってしまうのです。
あなたの罪悪感は、あなただけが感じているのではありません。
その罪悪感は相手に伝わり、相手を苦しめてしまう。そのことを忘れてはならないと私は思うのです。
ではどうしたらいいのでしょう。
答えは、こうなのです。
家族を置いて、一人で頂上に登ってしまいます。
そして、頂上の素晴らしさを大きな声で、家族に聞こえるように言うのです。
なんて美しい景色なんだろう。
なんて空気が澄んでいて気持ちがいいんだろう。
本当に来て良かった!頂上は素晴らしい!
それを聞いた家族は、そんな素晴らしいところに行ってみたくなり、それがモチベーションになって少しずつでも頂上を登っていけます。
あなたというモデル、目標があるから、進んで行きやすくなったのです。
このやり方なら、誰も犠牲せず、みんなで頂上に登ることができます。
誰かを助ける方法があるとしたら、まず自分が幸せになって、それを周りに見せてあげることしかありません。
それをモデルや目標にしてもらうのです。
実は、このやり方は「相手の力を信頼する」ことでもあります。
あなたが、誰かを助けたいと思って犠牲して背負ってしまうということは、相手の力を信頼してあげられていないとも言えるのです。
また、罪悪感を感じることをゼロにすることはできません。
感じたっていいのです。人間なのだから、それは自然なこと。
ただ、それを感じて相手の苦しみを背負っても、お互いが苦しむことになるから、それをやめたいと思うこと。この思いをいつも忘れないことだけでもいいのです。
その上で、自分の幸せを楽しんだり、幸せになるために進んでいこうと思ってみてください。
また、罪悪感を感じる元を整理することで、それがやりやすくなります。
多くの場合、それは過去の体験から来ています。
今回のご相談のケースでは、幼い頃、母親が苦労しているのを助けたかった体験。子どもが母を助けたいと思うのは自然なことですし、母への愛情です。しかし、助けられない自分は価値がない、と自己攻撃し、自己価値を下げてしまったのです。
でも、それは大きな誤解です。子どもだから親をサポートする力がないのは当然のこと。役に立てなかったと責めて、その罪滅ぼしをしなければ価値が戻らないという気持ちではなく、役に立てなくても小さかったのだから仕方ない、自分には価値がないのではなく、むしろ、こうした思いを持つ優しさと愛情を持っているという価値を受けいれることが大切なんですね。
あなたは本当に優しくて愛情の大きい方です。
誰かを助けたくなったら、いつもここに戻って、自分の価値をまず認めてあげましょう。
誰かを助けたい才能と犠牲を分けることができたら、苦しまないで才能を使っていくことができるのです。
(完)